内田篤人と“鹿島黄金期”をマルキーニョスが回想 「幸せな日々の記憶は語り尽くせない」

鹿島時代に内田と共闘したFWマルキーニョス(右)【写真:アフロ】
鹿島時代に内田と共闘したFWマルキーニョス(右)【写真:アフロ】

【あのブラジル人元Jリーガーは今?】マルキーニョス(元横浜FM、鹿島ほか):特別編――3連覇の喜びを分かち合った内田との絆

 日本で通算15年間を過ごし、計7クラブでサポーターに喜びを与えた通算ゴール数は、外国籍選手最多の「152」。そんなブラジル人FWマルキーニョスの経歴のなかでも、多くのサポーターの記憶に強く残るのが、2007年からの鹿島アントラーズでのJ1リーグ3連覇だろう。その時代をともに生き、ともに戦い、昨年8月に現役を引退した元日本代表DF内田篤人について、当時の記憶や、現在の彼への思いを語った。

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「引退を知った時は、少し寂しくなったよね。ウチダはポテンシャルの高い選手だったし、キャリアを終えるのは、もっと先の話だと思っていたから。残念ながら、怪我が予想より早めの引退につながってしまった」

 内田は昨年の引退会見で「現役時代に衝撃を受けた選手」として、鹿島のJリーグ3連覇の原動力となった、いわば黄金期の選手たちについて語っている。その中にはもちろん、マルキーニョスの名前もあった。

「そういうふうに僕を思い出してくれるなんて、嬉しいよね。ウチダとプレーし始めたのは、彼が選手としてのキャリアを始めて間もない頃。だから、若い彼をできるだけ手助けしようとしていたんだ。彼は偉大な選手になって、海外でも長く活躍した。そして僕も、彼がドイツに行く前までに、彼のクロスで多くのゴールを決めることができた」

 “マルキーニョスと一緒にプレーすれば、若い選手が伸びる”というのは当時の定評で、内田はもちろん、FW興梠慎三(現・浦和レッズ)やFW田代有三、FW大迫勇也(現ブレーメン)ら、多くの若手が才能を開花させた。

「若い選手に対しては、練習でのやる気を引き出すことだ。そのためにはまず、自分がすべてにベストを尽くすこと。僕のプレーなり、姿勢なり、なんらかを真似したくなるような刺激を受ければ、若手は学び取ってくれる。例えば、僕は至近距離からのシュートが得意だったんだけど、ロングシュートは苦手だった。だから、その練習にすごく献身したんだ。そういう僕やほかの経験豊富な選手たちのハードな練習を見ることが、ウチダ自身の練習の濃さにもつながった。それに僕らはいつでも、若手かベテランかに限らず、お互いに良いところを真似したりすることで、みんなで一緒に成長できたんだ」

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藤原清美

ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。

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