熊本の大地が育んだリオ五輪代表の植田と豊川 類稀な個性を磨いた母校に息づく”成長の輪廻”

“成長の輪廻”が息吹くこの場所から

 

 着々と成長を続ける植田と、切磋琢磨する豊川。植田は守備の要となり、2011年のU-17W杯ではベスト8を経験。豊川も2年から10番を託され、チームの大黒柱となった。そして卒業後、そろって鹿島に加入し、U-23日本代表でも確かな活躍を見せた。

「人は自分の得意な部分や、武器が磨かれていくと、自信をつけていく。自信は人を育てる上での重要な要素。ストロングポイントをコントロールする過程で、人は探究心を大きくし、苦手なモノも克服しようとする。2人はそれに3年間挑んでくれた」

 平岡によってもたらされた“成長の輪廻(りんね)”は、今も続いている。奇麗な天然芝と立派なクラブハウスがある鹿島とは環境こそ違うが、大津高と同じように切磋琢磨する2人の姿がある。今季、豊川は岡山に期限付き移籍しているが、2人の関係が変わることはない。今も大津高のグラウンド奥にあるヘディングマシン。巻の幕の横には、植田の幕が新たに張られていた。そして豊川は五輪予選後、グラウンドに姿を現し、後輩たちにエールを送った。平岡は、真剣なまなざしでこう言った。

「ウチに来る選手たちは可能性を持っている。大人のアプローチ次第で、人は変わっていく。豊川と植田が日の丸をつけると思った人は少ないかもしれない。でも、ストロングポイントを伝え、本人が努力をすれば、必ず日本の役に立つ選手になる」

 このグラウンドから巣立った”変態”を見て、後輩たちが刺激を受け、また努力を重ねて新たな”変態”が生まれる。この輪廻が、この場所には息吹いている。それは練習に打ち込む選手たちの目を見ていれば伝わってくるものだった。

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 熊本県では今、地震によって深刻な被害を受け、多くの人々が不安と戦いながら日々を過ごしている。復興、そして成長に向けて、これからどれほど長い時間を要するのか、今はまだ分からない。

 だからこそ、“成長の輪廻”の息吹く地で生まれ育まれた2人だからこそ、自身のプレーを通して、被災した人々に元気と勇気を届けたいと誓ったのだろう。

 サッカーにはチカラがあることを、私たちは知っているはずだ。今こそ、選手だけではなく、Jリーグ、クラブ、そしてファン・サポーターもまたその力を結集し、団結して、前に進んでいくことを願う。

[PROFILE]

植田直通(うえだ・なおみち)

1994年10月24日、熊本県生まれ。中学時代にはテコンドーで日本一になった経験を持ち、大津高時代にFWからDFにコンバートされた。鹿島アントラーズ入団2年目にセンターバックで先発の座をつかみ、15年1月のアジアカップに日本代表の一員として参加した。

豊川雄太(とよかわ・ゆうた)

1994年9月9日、熊本県生まれ。大津高時代にプリンスリーグ九州で得点王に輝いた得点力を買われ、2013 年に鹿島へ入団。U-23アジア選手権では準々決勝イラン戦の延長前半6分に値千金の決勝弾を決めるなど、リオ五輪出場に貢献。今季からJ2岡山に期限付き移籍加入した。

〈サッカーマガジンZONE 2016年4月号より一部加筆修正をして転載〉

【了】

安藤隆人●文 text by Takahito Ando

安藤隆人、ゲッティイメージズ●写真 photo by Takahito Ando, Gettyimages

 

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