熊本の大地が育んだリオ五輪代表の植田と豊川 類稀な個性を磨いた母校に息づく”成長の輪廻”

平岡監督が口にする「変態」の意味とは?

 

 平岡が指す“変態”とは、「他とは違う特徴を持った選手」のことだ。平岡の目には、植田も、豊川も入学当初から変態に映った。

「今の日本には、一人ひとりの選手がストロングポイントに気付く機会が少ない。ストロングポイントがはっきりしている選手は、一つの個の輝きを持っている。だからこそ、大人もそれを気付かせて、伸ばしていくサポートをしてあげないといけない。植田は初めて見た時、日本にいない規格の選手だと思った。蹴る、飛ぶ、当たる。本当に身体能力がずば抜けていて、きちんと育てれば日本代表クラスになるなと直感しましたね」

 小2から始めたテコンドーでは世界大会出場を果たすほどの有名選手だったが、小3から並行して始めたサッカーでは大津高に入学するまでほぼ無名の存在だった。「サッカーの方が楽しかったから」(植田)と、中学からサッカーに打ち込むが、思うような結果は出なかった。その無名の中学時代に『ある伝説』を残している。

「サッカー部は全国中学サッカー大会予選で負けたら陸上部にいったん入るんです。それで練習も何もやっていないのに、三段跳びでいきなり大会に出るように言われた。熊本県の大会に参加して、前日に飛び方を教えてもらって、次の日やってみたら県で2位になった。記録は確か13メートルくらい……。無理やり助走距離を合わせて飛んだらうまく飛べちゃって」

 全く未経験の三段跳びで県2位に入ってしまう。恐ろしいまでの身体能力を裏付けるエピソードだ。テコンドーでも、陸上でも、やれば結果が出るが、サッカーだけは違った。チームは県大会にすら出場できず、県選抜には選ばれたが序列は一番下。逆にそれが闘争本能に火をつけ、のめり込むきっかけとなった。「熊本でサッカーをやるなら大津高しかない。ここにチャレンジをしないと、俺の気が済まない。ライバルは多ければ多いほど燃える」と、迷わず願書を出した。推薦入学ではなく一般入試だったが、すぐに平岡の目に留まった。入学時のスポーツテストで、類を見ない数値を叩き出したからだ。

「もう驚きしかなかった。それまでの大津高の最高数値は藤嶋栄介(現ジェフユナイテッド千葉)で、もうこの記録を誰も抜くことはできないだろうと思っていた。でも、植田は立ち幅跳びで2メートル80飛んで、50メートル走も6秒で走った。反復横跳びを70回もこなす。185センチの高さがあるのに、俊敏性と、スピードがある。これはとんでもない奴だと思った」

 この“とんでもない”変態の出現に、「もう楽しみしかなかった」と胸を躍らせた。

 

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