“J最強助っ人”マルキーニョス、震災復興への尽きぬ思い 「一生胸に刻み、応援する」
仙台に移籍した2011年、東日本大震災に遭って一時帰国し、その後退団を申し出る
鹿島では、マルキーニョスが一緒にプレーした選手たちが、引退後、指導者やスタッフとしてクラブに復帰する例も多い。
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「ゴウ(大岩剛)は監督を務めたし、オガサワラ(小笠原満男)は下部組織で指導している。ほかにも、僕がいた頃や、もっと前に活躍したOBが技術スタッフになっている。それをすごく幸せに思う。サッカーの仕事を続け、しかも、あの鹿島のサポーターと一緒にいられるんだから。熱狂的でいて、チームのことを第一に考えてくれる温かさ、あの雰囲気の中で頑張れるのは、何ものにも代え難いものだ」
マルキーニョスがもう一つ、今も気にかけているのが、東北の復興だ。2011年にベガルタ仙台に移籍した彼は、3月11日の東日本大震災によって一時帰国し、一旦は再来日したものの、精神的なショックや家族の心配から、退団を申し出たのだった。
「僕ら自身にも、何が起こってもおかしくない状況だったし、大きな衝撃を受けた。あの時はすごく悲しかったし、今も考えると胸が痛む。だからこそ、みんなが復興に取り組み続けているニュースを、今も追っているし、あの地域、あの街、あのクラブのことを、思い続けている。ベガルタは、みんなに希望を与え続けていることだろう。僕も、みんなが頑張り続けていることを、一生、心に刻み、応援しながら過ごしていくよ」
マルキーニョスにとって日本は、Jリーグの舞台を去って6年が経過した今も変わらず特別な場所であり続けている。
藤原清美
ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。