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JFA反町技術委員長、“原点”となった恩師の教え明かす 「発想と実行力は今から考えても…」
JFAの連載コラムで「全少」を視察にしたのエピソードを公開
日本サッカー協会(JFA)が1月30日、公式ホームページ上で反町康治・技術委員長の連載「サッカーを語ろう」を公開した。第6回は「全少に触れて」と題して、第44回全日本U-12サッカー選手権を視察に訪れた際のエピソードを明かした。
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反町技術委員長は2001年にアルビレックス新潟で監督に就任。そこから日本代表のコーチや北京五輪代表監督を歴任し、2009年から11年までは湘南ベルマーレの指揮を執った。12年に松本山雅FCの指揮官を務め、就任3年目にはクラブ史上初のJ1昇格を達成。19年限りで松本の監督を退任した。そして、20年3月29日にJFA理事会で技術委員長への就任が決定。現在は技術委員会のトップとして、日本サッカー界を牽引している。
そんななか、昨年末に「全少」を視察。鹿児島の白波スタジアムで決勝が行われた。U-19日本代表候補の合宿後、その足で鹿児島へ向かい、準々決勝から決勝まで見守ったという。決勝では、FCトリアネーロ町田(東京)とジェフユナイテッド千葉U-12(千葉)が対戦し、トリアネーロがPK戦の末、初優勝を遂げた。
反町技術委員長は「全国大会まで勝ち上がってきたチームだけあって、今大会もレベルの高い試合を見させてもらった」と大会の感想を綴っている。優勝したトリアネーロはGKが組み立てに加わり、最終ラインからのビルドアップにこだわりを持つチームだったといい、1対1のチャンスにドリブルで仕掛けることも多かったようだ。
「今回、ベスト16に残ったチームの半分は、Jクラブのアカデミー(育成組織)ではない、いわゆる『町クラブ』だった。トリアネーロもその一つで、そういうクラブが激戦区の東京を勝ち抜いて日本一にもなったことは、多くの町クラブの指導者と選手を勇気づけたことだろう」
また、反町技術委員長自身も「全少」のOBだという。親の転勤で小学校3年の時に引っ越した先が、社宅のある静岡県清水市(現静岡市)で、当時の清水市は「サッカーの町」であり、堀田哲爾さんという名物先生が清水の少年チームをまとめ上げていた。「オール清水(後の清水FC)」という選抜チームは全国レベルで、引っ越ししてきた反町少年もサッカーにハマった。小学校6年の時には「オール清水」の一員として、全少の前身である全国サッカースポーツ少年団大会で優勝。これが出発点になって、清水東高校でも全国制覇を経験し、日本代表にまで上り詰めた。