“J最強助っ人”マルキーニョス、15年を捧げた日本への思い 「決して忘れることはない」
日本ではオリヴェイラ監督、岡田武史監督、オシム監督ら名将の下でプレー
続く08年、鹿島はシーズンを通して安定した戦いを維持し、マルキーニョス自身もJ1得点王&MVPという個人タイトルを獲得した。
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「あの年は自分たちがやっていることに最初から自信を持って、全力で取り組めた。僕の個人賞も、チーム全体が落ち着いて戦えたことによるもの。選手や監督、技術スタッフやクラブスタッフのみんなで生み出した安定感だ。みんなが個々に努力し、同時に協力し合う。そういうつながりのなかで、結果は出るべくして出た。僕も、アシストもすれば、守備もサポートした。プロとしての友情の輪ができて、鹿島のように家族同然になった時、僕らは誰もが、みんなで成長したいと望むようになるものなんだ」
3連覇最終イヤーの09年は、17試合無敗(12勝5分)の記録を打ち立てるなどトップを独走したが、その後、まさかの5連敗も経験した。
「シーズン終盤(第24~28節)に負け始めたんだけど、それは他のチームが僕らをよく研究するようになったから。でも、鹿島がそういう存在になった、という証拠だから、それも素晴らしいこと。しかも、それでも僕らは3度目のタイトルを獲得したんだからね」
マルキーニョスは鹿島のオリヴェイラ監督はもちろん、数々の名将の下でプレーしてきた。03年の横浜F・マリノス時代は、岡田武史氏(現FC今治会長)が指揮を執っていた。
「オカダサンは、すごく尊敬する監督なんだ。能力がとても高く、人としても、心の広い素晴らしい人。僕は彼の下で成長したし、彼と一緒に進歩した。彼とともに優勝した。あの2003年のJ1優勝は、僕にとっての初タイトルだったから、僕の人生にも、僕の心にも刻まれる監督になったんだ」
翌04年のジェフユナイテッド千葉では、イビチャ・オシム氏の下でプレーした。
「彼は厳格で、怒りっぽく見えるけど、愛情の深い人。すごく対話をする監督でもある。試合が終わった時、すぐにそこで起こったミスについて話し、翌日には、もう一度その確認をしながら練習させるんだ。『君はこういうミスをしたけど、こんなふうに修正することができる』とね。彼から多くを学んだよ」
当時、マルキーニョスが練習に遅刻したことがあった。しかも、オシム氏がその罰としてランニングを命じたにもかかわらず、彼は走らずに帰ってしまった。監督の怒りを買うのではと、周囲はハラハラしたものの、当のオシム氏が「大丈夫。次の試合でも、彼は良いプレーをするはずだから」と許したことで、さらに話題となった。
「ははは。お互いに信頼し合っていたんだ。彼は多少神経質なところがあったけど、僕に走れと言ったのは怒ったからではなく、時間を守るということを教育するため。でも、僕は問題を起こすような人間ではなかったし、遅刻もあの時だけ。だから、ちゃんと彼に謝って、彼も受け入れてくれて、すべて上手くいった(笑)」
藤原清美
ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。