「練習でサッカーが上手くなる」は大間違い “習いごと”から脱却できない日本の現状

サッカーの楽しさの原点はゲーム

 コーチは自分が辿った道を繰り返したに違いない。まずは基礎。それを身につけてから実戦だ、と。ただし、これは世界の流れと真逆だ。サッカーの楽しさの原点はゲームである。世界中の子供たちは、まず見よう見まねでゲームを行い、そこでもっと上手くなって活躍したいというモチベーションを得てリフティング等の技術を習得しようとする。

 逆にまだサッカーの楽しさに触れていない子供たちにとって、リフティングや正確なキックの練習など苦痛なだけだ。経験者を呼び技術指導を導入した背景には、どうしても体育という科目の評価点をつけなければならないという意図が透けて見える。しかし、スポーツの原点は娯楽だ。体育と強引に結びつけた日本の発想や制度そのものに無理がある。

 同じように多くの中体連や高体連の部活も、旧来の“習いごと”の発想から脱却できていない。サッカーの局面を切り取り、上手くできなかったことに焦点を当て、その克服に多くの時間を割く。

 最も短絡的なのが「気合いで負けた」「集中力が足りなかった」と、罰走を課すケースだ。そもそも「気合い」や「集中力」を敗因に挙げる時点でお粗末だし、罰で走らせることで伸びる要素は見当たらない。また楽しさの軸を成すボールとゲームという道具を利用してトレーニング効果を上げる術を知らなければ、サッカーの指導者として適性を欠く。それは日々トレーニングの効率追求を競う世界の趨勢からも乖離している。

(加部 究 / Kiwamu Kabe)



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加部 究

かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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