C・ロナウドの“新記録達成”にチェコが異議 今も愛される「5000ゴールの男」とは?
【識者コラム】通算760得点で“歴代最多記録”と報道も、チェコ協会はビカンが821ゴールで1位と主張
クリスティアーノ・ロナウドが公式戦通算760ゴールを決め、新記録達成と報道された。ところがチェコサッカー協会がすぐに、「ロナウドは新記録ではない」とコメントを出している。
それまでの最多得点記録は759、ヨーゼフ・ビカンという選手が持っていた。ところが、チェコ協会の主張は「ビカンの得点は759ではなく821だ」というのだ。
やっぱり出てきたか――そう思った。
ペレが通算1000ゴールを達成する寸前、「5000ゴールの選手がいる」と名前が出たのがビカンだった。
“ペピ”と呼ばれたビカンは、1930~50年代にかけて活躍したストライカーである(ポジションはインサイドフォワード)。オーストリアのウィーン生まれだが、後にチェコスロバキアに移り、キャリアピークのスラビア・プラハでは217試合で395ゴールを取っている。“ヴンダーチーム”と呼ばれた伝説のオーストリア代表メンバーで、その後はチェコスロバキア代表でもあった。
ペレの1000ゴールが話題になった時、あるドイツ人選手が「5000点取った選手がいる」と言い出したのがきっかけだった。メディアがペピに真偽を確認したところ、「俺がペレの5倍も得点したと言ったところで、いったい誰が信用するかね」。
ただ、チェコの人々はペピの5000得点を信じていた。今回、ロナウドの件でチェコ協会が確認した公式戦得点数は821だが、839という説もある。戦時中の得点が多く含まれていることもあり、実際のところよく分からないのだ。
チェコの協会やファンにとって特別な選手だったのは間違いない。1シーズンのハイアベレージは24試合でなんと57ゴール。27年間のキャリアで12回も得点王になっている。1939~44年は5年連続でヨーロッパの最多得点者だった。5000点はともかく、親善試合を合わせれば1000点は軽く超えていただろう。
100メートルを10秒8で走る俊足は、当時の短距離走者と変わらない。第二次大戦後にユベントスから破格のオファーが来たが、断ってチェコスロバキアに留まった。これが運命の分かれ道だったかもしれない。
ペピはイタリアが共産化すると考えていた。ユベントスに行っても稼ぎにならないというわけだ。ところが、留まったチェコスロバキアのほうが共産主義勢力に呑まれてしまったのだから皮肉である。
西部謙司
にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。