“違い”を作る選手は「すげえもの」が見える 不確実なサッカーを彩る名手の閃き
【識者コラム】不確実な世界にあるサッカー、意表をつく時に「違い」は作られる
コーエン兄弟の映画『バスターのバラード』は6つの話からなるオムニバス形式。そのうちの1話、「早とちりの娘」にこんなセリフがある。
「見て触れるものの確実性は、ほとんど理にかなっていない」
コーエン兄弟の映画に通底するテーマとも言えそうだが、サッカーに置き換えてもこのとおりだと思う。
例えば、ポジショナルプレー。あるいはプレッシング、縦に速い攻撃、ハードワーク……それがあれば勝てそうだけれども、もちろんどれもすべて全くあてになりはしない。一見、理にかなっていて、確かにある面で真実ではあるが、こうした確実さは「ほとんど理にかなっていない」わけだ。
なぜなら世の中もサッカーも不確実だから。不確実な世界にある確実性は、ある意味で巧妙な罠になる。あまりにも不確実ゆえに、人はつい確実性にすがってしまうからだ。そんなもの「ありえない」と、どこかで思いながら。
戦術的なアイデアをインチキ扱いするつもりは毛頭ない。それぞれに理はあるし、役にも立つ。ただ、確実ではないだけだ。
現場で指揮を執る監督が頼りにしているのは理論よりも、もっと曖昧な、よく分からないものだと思う。サッカーではよく「違いを作る選手」という言い方をする。違いを作る選手が、何をどうするのかは予測できない。予測できるなら「違い」は作れないとも言える。ただ、その選手が「違いを作れる」と分かっているだけだ。
違いを作る選手はテクニックを駆使する。身体能力や判断も含め、なんらかのプレーが相手の予測を上回ったり、意表をつく時に「違い」が作られる。
技術にもいくつかの段階があって、例えばピタリとボールを止められる、即時に正確に蹴り出せる技術は基本だが、基本だから簡単というわけではない。むしろ基本を極めた選手こそ素晴らしい。この手のスキルに優れた選手は、どんなチームのどんな戦術の下でも非常に役に立つ。戦術を機能させられる選手だ。ただ、この手のスキルに優れているだけでは「違い」はあまり作れない。
西部謙司
にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。