元日本代表の名ボランチが語る“阿吽の呼吸” 最も「コンビを組みやすかった選手」は?
「名波さんや服部さんは生かしてくれるタイプだったので、凄くやりやすかった」
中盤の底で攻守の要となるボランチは、2人で組むならお互いのコンビネーションを高めることはもちろん、特に守備面においては後方のディフェンスラインとの連係が重要になる。
「代表で大変なのは、能力の高い選手を合わせること。ただ、能力の高い選手たちを合わせたほうが絶対にチームは強いので、そこのせめぎ合いじゃないですか、代表の難しさって。時間の限られたなかでチームとして機能させるか。機能しているチームの中から代表に呼ぶのか。そこは難しいところです」
福西氏はそんな“機能しているチーム”――Jリーグで一時代を築いた磐田で、長年にわたって不動のボランチとしてプレーしてきた。
「ジュビロでは名波(浩)さんとか服部(年宏)さんは(自分を)生かしてくれるタイプなので、凄くやりやすかったですね。服部さんは『俺がやるから攻撃行け』と言ってくれるし、名波さんだったら逆に守備の手助けをしてくれて、自分のほうに追い込んでくれるので守備しやすかったり。そのあたりはずっと(同じチームで)生活していたというのがあるので、やりやすかったですね」
黄金期の磐田に息づいていた、そうした“阿吽の呼吸”は、2ボランチ同士だけでなくチーム全体でも共有されており、福西氏にとっては特にディフェンスラインとの連係はプレーするうえで肝になっていたという。例えば、相手がサイドの背後のスペースを突いてきた時、「普通だったらセンターバックを動かしたくないので、ボランチがサイドに行きますよね。でも僕の場合、足が遅いからノロノロ行くんだったら俺が行ったほうがチームにとってプラスだという感じで、足の速い鈴木(秀人)さんが行っていた。逆に左は服部さんが行ったほうが速いので服部さんが行って、(センターバックは)真ん中で待ち構えているやり方でした」と振り返っている。
「チームにとって何が大切かというのを見つけていくのには、ちょっと時間がかかる」と語った福西氏。特に活動期間が限られる日本代表ではより難しさもあるため、選手同士の相性を含めて、ユニットとしての“最適解”を探す作業の重要性を指摘していた。
[プロフィール]
福西崇史/1976年9月1日生まれ、愛媛県出身。95年にFWとしてジュビロ磐田に加入すると、プロ入り後にボランチへコンバートされ黄金時代を迎えたチームの中盤を支えた。J1通算349試合62得点の成績を残し、Jリーグベストイレブンも4度受賞。日本代表としても国際Aマッチ64試合7得点を記録し、2002年日韓大会、06年ドイツ大会とワールドカップに2度出場した。04年アジアカップでは優勝を経験している。