元ブラジル代表MFとJリーグの6年半 今も忘れないフリューゲルスでの「人生を賭けた戦い」
フリューゲルス消滅に選手たちが一致団結し、天皇杯優勝で有終の美を飾る
しかし、フリューゲルスでの4年目となった1998年、経営の問題により、クラブは横浜マリノス(当時)に吸収合併されることが決まった。
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「クラブを消滅させるわけにはいかないと、僕ら選手たちは抗議行動もしたんだ。全員、黒い服で遠征したり、みんなで横浜駅に立って署名活動もした。年長の選手たちがスポンサーを探したり、クラブ存続のためなら、給料が減ってもいいとさえ言っていた。一方で、先行きの不安が募っていたせいで、練習中、選手同士が苛立って口論になったりもしてね。それで、みんなで話し合ったんだ。こんな状態でプレーして、誰かが怪我でもしたら、選手生活を続けることまで難しくなってしまう、と。あの話し合いで、みんなの気持ちが一つになった。そして、あの天皇杯だ。クラブや会社にとっては、Jリーグ最終節で、もう終わっていた。でも、僕ら選手は自分たちで、天皇杯を戦おうと決めた。
あえて移籍先の決まっていない選手たちを中心にチームを構成して、彼らのアピールの場にすることもできた。だけど、そうじゃない。僕らは勝たなければ意味がないと考えた。その強さこそ、チームに必要なものだったんだ。試合前は毎回、挨拶を交わしたものだよ。トーナメントだから『この試合で勝てなかったら、これが最後になる』『でも、みんなでここまで一緒にやれて良かった』って。ハト(波戸康広)、セト(瀬戸春樹)、ナラザキ(楢﨑正剛)のような若手は泣いてね。そして、チーム全員の人生を賭けた戦いに、僕らは勝ち続けた。ジュビロ磐田戦、鹿島アントラーズ戦、最後は決勝だ」
1999年元日、フリューゲルスは2-1で清水エスパルスを下し、天皇杯優勝を成し遂げた。
「なんとも言えない気持ちだった。僕らは優勝したんだよ。それが翌日にはみんな、職を失うんだ。笑いたいのか、泣きたいのか、分からない。幸せなのか、悲しいのか。でも、僕のサッカー人生においても、フリューゲルスでの最後の2カ月のような、強い結束力を感じたことはほかにない。そして、何よりもサポーター。あの痛み、悲しみにもかかわらず、最後まで僕らを応援し、支えてくれたんだ」
藤原清美
ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。