「力不足だった」 “技巧派集団”昌平が沈黙、2年連続で跳ね返された「選手権8強」の壁
タイムアップの笛とともに崩れ落ちた選手たち、MF小川は「Bチームの存在」に感謝
須藤はハーフタイムのドレッシングルームで、仲間にもっと運ぼうと呼び掛けたそうだ。「今日はドリブルでの仕掛けが少なかった。少し緊張していたのかもしれない」と、持てる力を出し切れずにもどかしい様子だった。
後半の半ばに差し掛かると、さすがに相手の活動量も減退し、前半のような重圧がなくなった。26分、1回戦のアディショナルタイムに決勝点を決めたMF篠田大輝が送り込まれ、だんだんと昌平のペース、攻勢の時間帯が増えていった。
30分、この試合で最大の決定機が訪れた。DF本間温土からボールを預かった篠田が右から横断し、鋭いクロスを送る。小見は空振りしたが、奥にいた須藤がとっさに反応。2人のマーカーをかわして強烈な一撃を放ったが、相手GKに阻まれた。「決めるしかないと思ったが、キーパーが上手かった」と潔かった。
タイムアップの笛が鳴ると、2人、3人とピッチに崩れ落ちた。優勝を期待され、その重圧を背負いながら勝ち進むのは難しいことだ。指揮官は「選手はよく戦ってくれたが、指導陣も含めて力不足だった。また新シーズンに向けてベースアップしていきたい」と切り替えた。
前回も今回も力のある人材を多数抱えながら8強で沈んだが、昌平は毎年のように次々と才能豊かな選手を輩出している。
鹿島に進むMF小川優介は「自分の成長はBチームの存在が大きかった。毎日の練習が本気でぶつかってくるBチームのおかげ」と感謝し、J3福島ユナイテッドに加入予定のMF柴圭汰も「大勢の指導者からサッカー観や考え方、戦術などいろいろ学んだ。2年半で様々な引き出しができました」と振り返った。
埼玉の盟主となって7年、全国区の強豪に栄達して4年。昌平が高校選手権のタイトルを獲得する日は、そう遠くはないだろう。
(河野 正 / Tadashi Kawano)
河野 正
1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。