なぜユースを辞めてまで高校サッカーに? 現役Jリーガー、青森山田への“異例の転入”を回想
青森山田の背番号「10」として活躍した柏レイソルMF神谷優太 「間違いなく肉体的にも精神的にも成長する」
第99回全国高校サッカー選手権が12月31日に開幕した。新型コロナウイルスの影響により、開会式の規模縮小やチケットの一般販売中止などを含め、例年とは異なるイレギュラーな大会となっているが、5年前の第94回大会に青森山田高校の背番号「10」を背負って出場した柏レイソルのMF神谷優太は、青森山田への“異例の転入”を振り返り、ユースを辞めてまで高校サッカーに挑戦した背景を語っている。
東京ヴェルディの下部組織で育った神谷は、ジュニアユース時代にはナショナルトレセンメンバーに入り年代別代表にも選出。チームのエースへと飛躍を遂げると、ユースへと順調に昇格した。しかし、高校2年の1月、神谷は青森山田への“異例の転入”を決断した。選手権に挑むチャンスは、たった一度。なぜユースを辞めてまで、青森山田への入学を決めたのだろうか。
まず神谷自身が指摘したのは、フィジカルとメンタリティーの相乗効果だ。
「青森山田と言えば雪上のサッカーだけれど、間違いなく肉体的にも精神的にも成長すると感じた。寮生活は自分たちで自立して考えて動かないといけないわけだけど、何より、寮を出たらすぐそばにグラウンドがあるというのが一番。いつでもサッカーができる環境。東京だと、どうしてもサッカー以外に誘惑があるが、青森は本当にサッカーしかなかった」
また、あの青森山田出身の日本代表MFの名も挙げた。
「柴崎岳選手の準決勝、決勝も現地まで観に行った。もちろん僕らの世代は岳さんへの憧れが特別強かったですが、それだけじゃなくて、あの濃い緑のユニフォームを着ている全員がカッコ良かった。当時まだ子供でしたけれど、あのユニフォームを着たいなという思いは芽生えていた。プレースタイルは異なるが、岳さんのように高校サッカーで憧れられる存在になりたいなと思った」
しかし、転入直後はやはり厳しい試練が待ち受けていたようだ。「最初に青森山田に着いた時、グラウンドがもう雪の山になっていて、サッカーもできない状況だった。ほぼフィジカルトレーニングと精神的な訓練に時間を費やしていたが、雪上の中でのトレーニングが全然できなくて、周囲からの目線は厳しかった。当時のことを同級生に聞くと、『マジでしょぼい奴が来たな』という印象だったらしい」と苦笑いを浮かべて振り返った。