浦和の“バンディエラ”山田暢久の今 社会人で監督2年目、“天性の勝負師”は現役復帰もしていた
【元プロサッカー選手の転身録】山田暢久(元浦和):神奈川県社会人リーグ1部イトゥアーノFC横浜で采配を振るう
Jリーグ浦和レッズの“バンディエラ”と呼ばれた山田暢久氏が、神奈川県社会人リーグ1部のイトゥアーノFC横浜の監督に就任して2年目のシーズンを終えた。1部に初昇格した昨季の7位から、首位と勝ち点3差の4位へ押し上げた今季の奮闘記をお届けする。
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チームの前身は2011年創設のFC横浜アズールだが、18年3月に横浜市の少年育成クラブ、NPO法人セイントフットサッカークラブに運営母体を移譲。ブラジル・サンパウロ州1部リーグ、イトゥアーノFCとの業務提携を契機にチーム名も変更した。
日本協会公認の指導者資格A級ジェネラルを持つ山田氏は、昨年1月から同クラブが運営する埼玉県の川越スクールで指導していたが、間もなくイトゥアーノの監督就任を打診される。その6日後の2月3日には、天皇杯予選出場につながる神奈川県社会人選手権2回戦で、“急造指揮官”として采配を振るった。
「引退後は指導者を目指していたので、オファーをもらって嬉しかった。でも急な要請で選手の特長も分からず、大勢の主力が抜けてしまい残留するのがやっとでした」
2部リーグ参入4年目の18年にBブロックを11勝1分1敗で制し、悲願の1部昇格を遂げた。ところがメンバーの大半が大学生とあり、主力が就職活動などで次々に退団。強化どころかチーム編成にも苦労し、10チーム中7位に終わり危うく2部に逆戻りするところだった。
今季は2位以内に入って関東社会人大会の出場権を獲得し、同大会での決勝進出を目指した。決勝に進むと来季は関東リーグ2部に昇格できるからだ。しかし新型コロナウイルス感染拡大で開幕戦が延期。3月半ばから約2カ月間は合同活動を自粛し、オンラインでの練習や個別に体を動かす期間が続いた。
埼玉在住の山田監督が県をまたぐ移動を自重したことで、昨年より指導時間は減った。さらに「大学生は生活費を補うためにアルバイトをしているので、全員が集まって練習できる日はまずない。後ろから丹念につなぎ、パスで展開するチーム作りを目指しているが、なかなか戦術を確立できなかった」と、やり繰りに四苦八苦したことを明かした。
河野 正
1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。