奇跡の復活後も試練の連続 不屈の海外日本人アタッカーが自らの生き様に込める思い

帰国後は、京都学園大学(現・京都先端科学大学)のサッカー部でプレー【写真:本人提供】
帰国後は、京都学園大学(現・京都先端科学大学)のサッカー部でプレー【写真:本人提供】

サッカー部廃部を受けて大学を休学し、ルーマニア4部ルゴジュで約3カ月プレー

 ニュージーランドでは、州1部リーグ(実質2部)に所属するセントラル・ユナイテッドFCとベイ・オリンピックのトライアウトを受けた。歴代1位タイの州リーグ優勝4回を誇るセントラル・ユナイテッドFCは不合格となったが、同じく優勝4回を記録するベイ・オリンピックのテストは通過。ただ、いざ選手登録をする段階となって、ニュージーランドには完全プロのリーグがないことに気づき、改めて進路選択を迫られることになる。

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「ニュージーランドにはプロがないと知らなくて……(苦笑)。選手登録するからパスポートを持ってきてという話になった時に、『契約書とかないんですか?』と聞いたら、『そんなものない』と。現地でサポートしてくれた方にも、『ここはセミプロかアマチュアだよ』『オークランド・シティに入ったら少し良い給料はもらえるけどね』と言われました。思い描いていたものとまったく違う状況となって、ニュージーランドでバイトしながらサッカーをして次につなげるのか、大学に行くのか、迷いましたけど、最終的に大学のほうがレベルは高くて自分のためになると思ったので、契約しないで帰ってきました」

 しかし、帰国後も伊藤の激動のキャリアは続く。京都学園大学(現・京都先端科学大学)のサッカー部に入るも、BチームからAチームへの昇格を目指している最中に廃部に直面。大学を休学し、再び海外のコネクションを模索することになる。クラブに自らを売り込むため、プレービデオの編集や契約書の作成も試行錯誤しながら自分で手掛けた。そして、たどり着いたのが、元Jリーガーの瀬戸貴幸(アストラ・ジュルジュ)が13シーズンにわたってプレーしてきたことでも知られる東欧のルーマニアだった。

「最初は、スウェーデンのトライアウトに参加したいと思って準備を進めていました。自分で作ったプレービデオや契約書をダメ元で移籍をサポートしてくれる会社に送ったら、ルーマニアだったら行けるかもという話になって。先に受けた(地中海の島国)マルタ1部のモスタFCのトライアウトがダメで、『サッカーをできたらなんでもいい』と思ってルーマニアに渡りました」

 2019年9月、伊藤はルーマニア4部のCSMルゴジュと契約。セミプロという立場だったが、食事代と住居費のサポートがあったため、サッカーだけで生計を立てることができた。「すぐに蹴ってしまうスタイル」で、リーグ全体のレベルとしては「あまり高くなかった」と振り返る一方で、およそ3カ月間、久々にサッカーができる喜びを噛み締めながら必死にプレーした。

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