「本当に美しい時間」 元浦和ブッフバルト、Jリーグ時代を回顧「最高のサポーターがいた」

Jリーグで感じたポジティブな驚き サポーターは「いつも勇気を与えてくれた」

 浦和に来てみると、聞いていたとおり、良質な練習場のほかに用具係やチームバスなど、プロサッカークラブが必要とする条件がすべてしっかりと用意されていた。日本人選手たちのレベルも予想以上で、優れた技術とスピード、サッカーに対する高いモチベーションを兼ね備えていた。そしていつでも熱い声援を送ってくれるサポーターの存在も、ブッフバルト氏にとってはポジティブな驚きだったという。

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「当時の日本人選手の中でベストプレーヤーだったのは、フクダ(福田正博)。彼はすごく賢い選手で、壁パスのやり方やシュートに行くまでの方法をしっかりと理解している、とても良い選手だった。それから、浦和には最高のサポーターがいた。私たちの試合には毎回大勢のサポーターが来て、たとえアウェーゲームであっても最後まで素晴らしい応援をしてくれていた。どんな試合展開になっても、だ。本当に素晴らしかった。彼らはいつも私たちに勇気を与えてくれた」

 スタッフ、選手、サポーター。クラブに関わるすべての人たちが本気だった。本気で浦和のために努力していた。そしてそういう彼らの姿を見て、ブッフバルト氏も本気になった。同僚にブンデスリーガや西ドイツ代表で培った経験やスキルを伝え、メンタルの重要性を説き、練習から常に全力でプレー。日本文化を理解するために、日本食にも挑戦した。

「『何をどう上手くやるべきか』『こういう状況の時はどうプレーするべきか』といったことを練習中に何度も説明したし、試合後に話し合うこともあった。特に守備の面で直さないといけない部分がたくさんあったから、どうするべきなのかしっかりと説明するようにしていた。『どうして上手くいかなかったのか』『なぜ失点したのか』ということについてだ。日本食は寿司や刺身、うどんなど一通り食べてみた。ただし、納豆だけは食べられなかった」

 チーム関係者全員の努力の成果は、徐々に目に見える結果として表れ始める。浦和はブッフバルト氏を迎えて戦った94年のセカンドステージこそ11位(12チーム中)だったが、95年はファーストステージで3位、セカンドステージで8位となって前年までの“指定席”だった下位から抜け出すと、96年には10月2日に行われた第22節・横浜マリノス戦に1-0で勝利して、Jリーグ発足以来、初めて首位に立った。

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