「本当に美しい時間」 元浦和ブッフバルト、Jリーグ時代を回顧「最高のサポーターがいた」
【ブッフバルト氏インタビュー】世界の第一線で戦っていた94年夏に来日「素晴らしい挑戦だと感じた」
今から26年前の1994年夏、元西ドイツ代表(当時)DFギド・ブッフバルト氏は日本にやって来た。1997年末に退団するまでの3年半、彼は浦和レッズの赤いユニフォームを身にまとい、ゴール前に蹴り込まれたボールをことごとくヘディングで跳ね返し、背後のスペースにスルーパスが出れば迫力満点のスライディングタックルでピンチの芽を完全に摘み取った。
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1990年イタリア・ワールドカップ決勝でアルゼンチンの英雄ディエゴ・マラドーナを完璧に封じ込め、母国西ドイツを3度目の世界一に導いた男は、今なおJリーグ史上最強のディフェンダーと評されている。彼はなぜ日本に来ることを決断し、何をモチベーションにして3年半、浦和の一員として戦ったのか。筆者が知人を介してインタビューを依頼すると、浦和のレジェンドは選手として過ごした日本での日々について語ってくれた。
ブッフバルト氏が浦和の関係者とドイツ南部シュツットガルト市内で初めて直接会ったのは、来日する半年ほど前の93年10月頃だったという。浦和の親会社だった三菱自動車とシュツットガルトに本社を置くダイムラー社はビジネス上緊密な関係にあり、そのつてを頼りにクラブ社長をはじめ浦和の幹部一行がブッフバルト氏の所属していたVfBシュツットガルトを訪れて実現した会談だった。その席上、浦和関係者からは守備の強化とクラブのさらなる発展のために、ブッフバルト氏の経験と実力が必要不可欠であると説得された。
当時のブッフバルト氏は、ドイツ代表の一員でありブンデスリーガでタイトル争いを繰り広げていた名門シュツットガルトの主将。その実力はまだまだ世界の第一線で戦えるレベルにあり、本人さえその気ならば、シュツットガルトに残るなり他クラブへ移籍するなりして、引き続きブンデスリーガでプレーすることは十分に可能だった。しかし、当時32歳になっていた同氏は以前から海外でのプレーに興味があり、本人にとってこの日本行きの移籍話は新たなチャレンジとして魅力的な選択肢に映った。
「1990年にもドイツ国外でプレーできるチャンスがあった。イタリアのあるクラブだったが、結局契約上の問題でその話はダメになってしまった。だから私にとって浦和からのオファーは何か新しいものを知る良い機会であり、素晴らしい挑戦だと感じた。それで西ドイツ代表で同僚だったピエール・リトバルスキー(当時ジェフユナイテッド市原)や日本で働いていたドイツ人の知人にも連絡を取って、Jリーグのことや日本での生活について尋ねてみた。彼らの日本に関する話もすべてポジティブなものだったから、それで妻や子供たちと相談したうえで日本に行くと決めたんだ」