18歳で死の危機に直面…指定難病から“奇跡の復活” 海外日本人MFが不屈の魂で追う幼き日の夢
【伊藤源太インタビュー|前編】中学1年生でアイスホッケーからサッカーに転向
その人生は、「壮絶」のひと言では表し切れないほど波乱万丈だ。東京五輪世代のMF伊藤源太はマンチェスター・ユナイテッドのスクールに短期留学し、その後にエスパニョールのカンテラに練習生として参加。挫折を味わいながら、夢を追い求めて自分の成長に全身全霊を注いできた。しかし、18歳で日本の指定難病に認定されている視神経脊髄炎を発症。日常生活でも自由が利かない状態となり、絶望に打ちひしがれた。
病気を乗り越えて復活を果たしたが、大学時代には所属していたサッカー部が廃部。プロになる道を探し、タイ挑戦を経て、モンゴルのクラブとプロ契約を結んだなか、新型コロナウイルスの影響で不透明な状況が続き、今年8月に契約解除を申し出た。
いつかUEFAチャンピオンズリーグのアンセムをピッチで聞きたい――。子供の頃に掲げた大きな夢に向かって再び動き出した、22歳の不屈のアタッカーの日々を追った。
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「源太、コイツは上手いから観とけよ」
小学校6年間はアイスホッケーに打ち込んでいた伊藤源太は、親友がサッカーをやっていたのがきっかけで、中学1年生からサッカーに転向する。最初に憧れたのは、元ウルグアイ代表でのちにJリーグのセレッソ大阪の一員となるFWディエゴ・フォルランだった。親友の父親がインテル時代(2011-12シーズン)の試合を観ている際に勧められ、漠然と「上手いんだ」とプレーを見るようになった。
ドリブルでディフェンダーを抜き、ゴールを奪うことに快感を覚えた伊藤。中学2年生の時、マンチェスター・ユナイテッドのサッカースクールに参加し、初めての海外を経験する。
「僕は勉強がすごく嫌いで(笑)、サッカーが大好きだったので、中学校を卒業したら海外に行きたいと思っていました。それを母親に伝えたら、『いきなり海外に行ったら戸惑うから、一旦短期留学してみたら』と言われたんです。自分で調べてみたら、海外留学やトライアウトのコーディネイトをしている会社がマンチェスター・ユナイテッド・サッカースクールのサマーキャンプ参加を募集していました。当時はクリスティアーノ・ロナウドが大好きで、彼が以前にマンチェスター・ユナイテッドでプレーしていたので、親に頼んで行かせてもらいました」