「シャペコエンセの悲劇」を忘れない 墜落事故から4年、元Jリーガーも犠牲となった現場は今

シャペコエンセは2016年のコパ・スダメリカーナで決勝進出の快進撃を見せていた【写真:Getty Images】
シャペコエンセは2016年のコパ・スダメリカーナで決勝進出の快進撃を見せていた【写真:Getty Images】

元J2得点王のケンペス、元神戸のカイオ・ジュニオール監督らも帰らぬ人に

 犠牲者には、Jリーグに所属した監督、選手もいた。ヴィッセル神戸で指揮を執り、シャペコエンセで監督を務めていたカイオ・ジュニオールをはじめ、セレッソ大阪とジェフユナイテッド千葉でプレーし、2013年には千葉でJ2得点王を獲得したエヴェルトン・ケンペス、元京都サンガF.C.のウィリアン・チエゴ、元柏レイソルのクレーベル・サンターナ、元川崎フロンターレのアルトゥール・マイアの5人も帰らぬ人となった。

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 事故後、アトレティコ・ナシオナルはコパ・スダメリカーナの優勝をシャペコエンセに譲ることを決め、チームの本拠地アタナシオ・ヒラルドスタジアムにシャペコエンセを弔う碑を設置した。

 シャペコエンセはブラジルの南部サンタカタリーナ州にある人口約20万人の街、シャペコを本拠地とする。クラブは1973年に設立。だが、最近までは財力のない地方の弱小クラブの一つにすぎなかった。

 しかし、2009年に全国選手権4部入りし、1年で3部に昇格。さらに13年に3部から2部に昇格すると、翌14年には1部に昇格。4部から1部までをわずか5年で駆け上がった。

 その後も1部に残留し、15、16年とコパ・スダメリカーナに出場。16年にアトレティコ・ナシオナルとの決勝に進出したことは、クラブ史上最大の快挙だった。全国選手権1部昇格からわずか3年で南米の頂点を目指すまでになり、「奇跡のクラブ」と言われていたシャペコエンセ。そんなシンデレラストーリーが完結する直前だったこともあり、世界に与えた衝撃は大きかった。

 生き残ったのはGKジャクソン・フォルマン、DFエリオ・ネト、DFアラン・ルシェウの3人とジャーナリスト1人、乗務員2人の計6人。フォルマンは右脚の切断を余儀なくされ、選手生命を絶たれた。墜落後の11日間、昏睡状態にあったネトは、その後意識を取り戻し地道なリハビリを続けたが、ピッチに戻ることはできず、19年に現役を引退。指導者になった。ルシェウは半年後に復帰し、一時はゴイアスに移籍したが、現在はシャペコエンセに戻り、プレーを続けている。ジャーナリストは墜落から2年後、草サッカーのプレー中に心臓発作で他界。クラブは17年以降もブラジル全国選手権1部に踏みとどまっていたが、今年は2部に降格。1年での1部復帰を目指し、現在2部の首位を走っている。

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