「シャペコエンセの悲劇」を忘れない 墜落事故から4年、元Jリーガーも犠牲となった現場は今
墜落現場は標高約2600mの山中、事故当日は霧が立ち込める
リオ・ネグロの空港は標高約2100メートルの高地にあり、墜落現場は標高約2600メートルの山中だった。現場に近づくためには、近くの街から舗装されていないデコボコ道を何キロも走らなければならず、急な坂道もある。当然、街灯などない。雨季になると雨で道がぬかるみ、通行止めになる難所で、普段は四輪駆動車やオフロードバイク、マウンテンバイク、馬でしか辿り着けないアクセスの難しい場所だった。
【PR】ABEMA de DAZNでラ・リーガの久保建英など欧州サッカーの注目試合ハイライトを全試合無料配信!‘;
事故当日、現場には霧が立ち込めており、ヘリコプターが着陸するのは不可能な状況。そのためレスキュー隊は山中の現場まで、陸路で向かうことを強いられた。
それでも、近くのレーダー基地から飛行機墜落の連絡を受けた地元の救助隊は、なんとか現場近くまで救急車を走らせた。最初の部隊が現場近くに到着したのは墜落から30分後の午後10時半。そして、待ち受けていたミゲルさんたち親子が救助隊を道路から約500メートル離れた墜落現場まで案内し、生存者の声が聞こえた場所を伝えた。
救助隊本隊が現場に着いたのは墜落から約2時間後。雨でぬかるんだ斜面を登り、生存者を探した。最初の生存者が近くの街の病院に搬送された時には翌日の午前2時を回っていたが、それでも救出された7人のうち、手術を受けるなどした6人が奇跡的に命を取り留めた。残る1人は数日後、病院で死亡し、死者数は最終的に71人になった。
「救助が始まってからはロープが張られたため、我々は現場には入れなかった。だが、頭だけの遺体が5つ運ばれたのを見ました。最後の生存者が発見されたのが翌朝5時半。最後の遺体が回収されたのは翌日の午後2時でした。飛行機が墜落した場所は、衝撃で草木がなぎ倒されていました」
翌朝、霧が晴れると、軍のヘリコプターで次々と遺体が運ばれていったという。その後、犠牲者の家族らがコロンビア入り。遺体安置所で無言の対面をした後、遺体はブラジルに運ばれ、シャペコエンセのスタジアムで合同葬が営まれた。スタジアムでは多くのサポーターが、声を張り上げて泣いた。