単身スペイン挑戦から7年 不屈のゲームメーカーが2部Bの先に見据える“大きな野望”
【吉村祐哉インタビュー|後編】柴崎岳も所属したテネリフェのBチームで3年間奮闘
育成大国スペインで、下部組織からセグンダB(3部相当)まで上り詰めた唯一の日本人選手であるMF吉村祐哉は、かつては地元のクラブでCチーム生活に甘んじ、無名の存在だった。中学卒業と同時に単身スペインへ渡り、街クラブから自らのプレーで道を切り開いてきた。インタビュー後編は、日本代表MF柴崎岳(現レガネス)が所属したことでも知られるテネリフェのBチーム加入から、現所属のアーロ・デポルティボにたどり着くまで。“不屈のゲームメーカー”がスペインで掲げる大きな目標とは――。
2017年7月、吉村は2016-17シーズンまで柴崎が所属していたスペイン2部テネリフェのBチーム(テルセーラ/4部相当)と3年契約を結んだ。複数のクラブから打診があったなかで、テネリフェからトップチーム昇格も視野に入れた好条件を提示されたのは決断を大きく後押しした。
毎試合背番号が変わるBチームでも主に「10番」を託されると、トップ下と左サイドを主戦場にレギュラーとして攻撃のタクトを振い、34試合に出場して1得点11アシストをマーク。25勝10分5敗(勝ち点85)でのリーグ戦優勝に大きく貢献し、史上初となるBチームのテルセーラ制覇を果たした一員として名を刻んだ。
加入1年目の活躍を受けてクラブの期待も大きくなったなかで、2年目は思うように結果を残せず。巻き返しを誓った2019-20シーズンも、プレシーズンに右膝を負傷した影響で開幕に出遅れ、復帰後には新型コロナウイルスによる緊急事態宣言でリーグ戦が打ち切りとなってしまった。テネリフェでは計68試合に出場して4得点17アシストを記録したが、“希望”と“壁”に向き合った3年間だった。
「1年目はチームとしてリーグ優勝、個人的にも二桁アシストを記録して満足のいくシーズンでした。このまま頑張れば、トップチームも見えてくるかもしれない、と。でも、プレッシャーもあって、監督から求められる1年目以上の活躍に応えられませんでした。自分の弱さを感じましたね。最後のシーズンはあまり試合に出られなかったので、3年間通して見るとすごく苦しかったです」