「この仕事がめちゃくちゃ好き」 日本人“ホペイロ”の挑戦、単身ドイツで切り拓いた道
イェーナのスタッフに感謝「壁を作らずに来てくれた」
「ネットで各クラブのホームページを見たら、メールアドレスとか載っているじゃないですか。ダメもとでとりあえず送ってみようと。ただ、いきなり1部とか2部に送っても、こいつを取ってやろうという決定権がある人のところまではさすがに届かないとは思いました。だから3部とか4部のクラブに結構な数の履歴書を送ったんですけど、そうしたらイェーナから『面接に来ないか?』という返事が来たんです。さっそく面接に行ってみたら、『1週間後くらいから来てくれ』と言われたので、すぐに語学学校を切り上げて、イェーナに来ました」
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自分から動くことで、何かに遭遇することがある。誰かのアンテナに引っかかることがある。動かなければ何も変わらない。頭では分かる。でも実際に行動するのには、相当の思い切りが必要だろう。また、ちょうど同年にイェーナが4部から3部に昇格したことで予算枠が広がった関係もあったのかもしれない。
それにしてもドイツに単身来て、わずか半年余りでそこまでの展開を生み出すことができるだろうか。筆者がドイツに来て半年の時期は、ドイツ語でのコミュニケーションに大苦戦していて、とても何かをやろうというところまで考えることはできていなかった。
「それに関してはクラブの人たちに恵まれていたなと思います。みんな最初から壁を作らずに来てくれたんです。あと最初にトレーニングキャンプがあったのが、デカかったかもしれないですね。1週間ぐらい、みんなで過ごすというのがあったので、それで一気に距離が詰まったかなと。そこで結構みんな僕の働きぶりを評価してくれたみたいで。あと、日本から来てみんな僕が大した給料の額をもらってないって知っていたので、『ご飯連れて行ってあげるよ』から始まって、どんどん仲良くなったという感じですね」
神原のツイッターのつぶやきを見ると、選手と仲良く食事に行ったり、遊んだりしていた様子がうかがえた。ユニフォームや練習着をてきぱきと洗濯し、用具の準備をし、チームが必要なものをサポートする。朗らかな性格で溶け込み、仲間としてとても愛されている。そして選手だけではなく、監督やコーチ、スタッフとも仲が良かった。
中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。