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クライフ「14番の伝説」 控え選手の番号を、特別な数字に変えた偉才のカリスマ
人々を魅了してやまない「14」は永遠に
思考回路そのものが普通ではなかった。常に物事の本質だけを捉え、一切のムダを削ぎ落とす。オランダ人らしい合理主義の極みだが、そのスケールがあまりにも大きいゆえに常人には「革新的」で「非常識」に映ったのかもしれない。
控え選手を表す数字でしかなかった「14」という背番号を身につける「非常識」な選択も合理的な意味があった。固定番号制が主流となった現代において、かつてのレギュラー番号(1番から11番)に大きな価値はなくなっている。
「背番号14がクライフなのではない。クライフが背番号14なのだ」
まさに選手と背番号の主客転倒。クライフは規格外のプレーから独特の背番号に至るまで、見えない未来を先取りしていた。その点においてクライフはペレやディ・ステファノの域を超えている。
サッカー界におけるコペルニクス的転回の先導者。未来を予言していた意味でも真のカリスマだろう。そのシンボルナンバー「14」は、いまも人々を魅了してやまない。
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クライフ氏がいち選手の枠に収まらないカリスマとして名を残しているのは、その素晴らしいプレーや名言の数々にあるだけではなく、現代サッカーにもつながるフィロソフィーを残したことにあるだろう。
今でもバルセロナはクライフイズムを継承し、「美しく勝つ」サッカーで世界中に大きな影響を与えている。
そのフィロソフィーは、どれだけ時代を経ても、永遠に受け継がれていくだろう。世界中を魅了したカリスマの名とともに――。
今はただ、心からの冥福を祈りたい。
[PROFILE]
ヨハン・クライフ
1947年4月25日生まれ、オランダ・アムステルダム出身。63年、16歳でアヤックスとプロ契約を結び、3度の欧州制覇など黄金時代を築く。73年にバルセロナに移籍。翌年行われた西ドイツW杯でオランダ代表を準優勝に導く。西ドイツとの決勝は今でも語り草となる名勝負だった。同年、バロンドール(欧州最優秀選手)を獲得。84年に引退。88年よりバルセロナを監督として率いる。今に通じる攻撃的サッカーのDNAを植え付けた。
〈サッカーマガジンZONE 2015年12月号より一部加筆修正をして転載〉
【了】
北條聡●文 text by Satoshi Hojo
ゲッティイメージズ●写真 photo by Gettyimage