日本人“ホペイロ”がドイツ3部クラブで“戦う”理由 「誰もやったことがないチャレンジを…」

ドレスデンの集合写真(後ろから2列目の右から2人目が神原氏)【写真:本人提供】
ドレスデンの集合写真(後ろから2列目の右から2人目が神原氏)【写真:本人提供】

“ドイツ内移籍”の決め手となったドレスデンからの熱烈なオファー

 J2のFC岐阜などでホペイロをしていた神原はいつの日か、自分のチャレンジ先に海外をイメージするようになったという。

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「僕は、やるなら誰もやったことがないことにチャレンジしたいという思いがありました。J2でホペイロをやっている時は、羨ましいなじゃないですけど、J1で働いている知り合いとかもいるので、ああいうところで働きたいなと思ったりもしていたんです。でも、もっとあまり人がやらないようなチャレンジがしたいなと。そんなチャレンジもできるんじゃないかって、そんなことを考えていた時に、ふと海外に行ってみようかなと」

 自分の中で覚悟を決めると、ドイツへ渡る準備を進めていく。渡独後は様々な場所で経験を積みながら、イェーナに辿り着いた。そこでの毎日はホペイロとして、そして1人の人間として、監督・コーチ、スタッフ、選手からも愛され、とても充実していたという。

 そんな時に舞い込んだドレスデンからのオファー。悩んだ。でも、神原は足を踏み出す決断をした。

「なんで自分がドイツに来たのかというのを考えた時に、やっぱり最終的にはブンデスリーガでとか、CL(UEFAチャンピオンズリーグ)に出るようなクラブで働きたいという思いがあったんです。だから少しでもそういうチャンスがあったら、掴みにいかなきゃいけないというのがいつも僕の中にありました。イェーナのみんなにはすごく良くしてもらって、本当に居心地はすごく良かったんですけど、でも、チャレンジするチャンスがあるなら掴みにいかないといけない」

 ドレスデンが新しいホペイロを探しているという段階で、以前送っていた神原の履歴書が目に留まったらしい。もともとドレスデンとイェーナの両クラブは旧東ドイツクラブ同士のつながりがあり、イェーナのGKコーチとドレスデンのスポーツディレクター(SD)が旧知の仲という縁もあったそうだ。

「何かの時に、そのSDが僕の評価をリサーチしていたようで、去年の10月に練習試合をしたことがあったんですけど、その時にSDから試合後に紙を渡されて。すごく熱心に誘ってくれたんです。向こうのクラブからのウェルカムという感じ、『ぜひ来てくれ』という思いをとても感じたんですね。『とりあえず試しにうちでやってみるかい?』くらいだったら悩んでたと思うんですけど、最初の面接に行った時から、『うちに来てほしい』という勢いだったのが決め手になりました」

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中野吉之伴

なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。

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