森重のアンカー起用はサプライズではない 4年前に消えたある監督のゲームプラン
城福が温めていた計画
日本代表は、ハビエル・アギーレ監督の初陣となった、5日のウルグアイ戦に0-2で敗れた。その一戦で、背番号「6」は懐かしい場所に立っていた。メキシコ人監督はDFが本職の森重真人を最終ラインから4-3-3と並んだ中盤のアンカーポジションに抜てきしたのだ。
このサプライズ起用は、ふと4年前に夢見た記憶の断片をよみがえらせてくれた。
森重は、2010年、FC東京への移籍を決断した。彼の獲得を熱望したのが、当時の城福浩監督(現・甲府監督)だった。指揮官は、2009年にヤマザキナビスコカップを制覇したものの、絶対的なエースであったカボレを失ったチームに森重を迎え入れた。そして、ある2つのプランを準備していた。
一つ目は、現在指揮を執る甲府と同じ3-4-2-1システム。それは、徳永悠平、長友佑都というリーグ屈指のサイドアタッカーの特長を最大限生かすための配置だった。最終ラインは、森重をリベロにし、両脇には、今野泰幸(現・G大阪)、キム・ヨングォン(現・広州恒大)が入る。中盤だけでなく、最終ラインのどこからでも長短自在にパスを供給できる布陣だった。
そして、もうひとつが森重をアンカーに置く4-3-3システムだったという。実は、城福は、このときすでに攻守の媒介となる森重の姿を知っていた。
「広島皆実の時代に、彼が中盤でアンカー的な役割をしている試合を別の選手の視察で見ていた。そのときから素養があることは知っていた」
しかし、一つ目のプランは、その年の開幕前のアクシデントで早々に頓挫してしまう。ボランチのレギュラーと考えていた、米本拓司がけがで長期離脱し、徳永悠平をボランチ起用して何とか急場をしのがなければならなくなったからだった。だが、チームは思うように勝ち点を伸ばせず、苦しい戦いを続けた。
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