日本からワールドクラスの“天才”は生まれるか 南米の環境に見るスーパースターの条件とは?

東京ヴェルディのスクールでの指導経験も持つ亘崇詞【写真:本人提供】
東京ヴェルディのスクールでの指導経験も持つ亘崇詞【写真:本人提供】

東京Vスクール時代の久保を指導 「技術も強い気持ちも違うものを持っていた」

 どんな天才でも成功が確約されていたわけではない。また、サッカーが頭抜けて上手いだけではスーパースターにはなれない。

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「ディエゴ・マラドーナでさえ、誰もが上手いのは分かっていましたが、あの体の小ささですから潰れてしまうのではないか、と危惧する声もありました。20歳頃までは、ただの純粋なサッカー少年だったのが、いつからか政治の話も口にするようになり、クラブの役員を抑え込むようなカリスマ性や影響力を持つようになったんです。カルロス・テベス、フアン・ロマン・リケルメ、エベル・バネガらがスターダムに上がっていくのを見ると同時に、様々な理由で挫折していく選手もたくさん見てきました」

 亘には、久保建英を東京ヴェルディのスクールで、ベレーザの選手と一緒に指導していた時期がある。

「ヴェルディのジュニアでは、小学校高学年にならないと選手登録ができなかった時代なので、親御さんとともに判断して川崎フロンターレに移る判断をしたのだと思います。技術もサッカーでやっていく強い気持ちも他の子とは違うものを持っていましたが、小学1~2年生では絶対に大成するかどうかなど分からなかった。いくら才能を持っていても、いろいろな競争に圧し潰されて消えていった選手はたくさんいます。しかし彼はその後も自分で選んだ環境で勝ち続けて、今があるわけです」

 これまでも亘は選手たちの発芽促進のために、様々な試みをしてきた。

「日本の環境が悪いというわけではありません。しかしゴルフや競馬でも日本の選手や馬が、海外の深い芝や異なる環境下で勝つのは難しい。やはり日本の素晴らしい芝やプレッシャー下ではなく、世界に出て戦い勝つことがスタンダードになっていかなければと思うんです。そのためには、いろいろな映像を見せてあげるのも良いかもしれません。でも肌で感じたほうが良いので、できる限りお金をかけずに海外チームとの試合を組むようにしてきました。また僕自身も世界で働ける指導者になるために、毎年外国人選手には通訳なしで入団してもらっています。選手も指導者も人間として逞しくならなければいけないと、いつも考えているんです」

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加部 究

かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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