若い在日朝鮮人選手の道しるべに―― 李漢宰、大先輩から受けた刺激と自らに課す使命
幼少期のつらい経験も反骨心で克服「アイデンティティーを生むことができた」
在日朝鮮人3世として日本で生まれ育った李漢宰。時代背景こそ現在と違えど、朝鮮学校に通っていた小学生時代にはそのルーツゆえに「つらい思い」もしたという。ただ、その経験があったからこそ、自分のアイデンティティーを確立することができたとも話す。
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「僕が通っていた朝鮮学校は生まれた場所から100メートルも離れていないくらいのところにあって、周りも在日の人ばかりでした。『おい、朝鮮人、朝鮮人』と差別を受けたり、自分の家に殴り込みに来る人がいたくらい、ドラマや映画で見るようなシーンが学生時代にはたくさんあって、自分たちが在日だと意識するような環境でした。でも、逆に言えば、そういう反骨心があったからこそ自分たちの熱い思い、アイデンティティーを生むことができたと思います。小さい頃から、『大人になったら朝鮮代表として、日本代表と闘うんだ』という夢を自然と持っていました」
だからこそ、プロデビューを経て、2004年10月に北朝鮮代表として初めてピッチに立った際は、特別な思いが湧いてきたという。
「例えるなら、(2010年の南アフリカ・)ワールドカップの(グループリーグ)ブラジル戦で鄭大世選手(現・アルビレックス新潟)が大粒の涙を流したのと同じくらい、自分も初めて代表のユニフォームを着てピッチに立った時は、『今までこのために生きてきたんだ』と涙をこらえることができませんでした。今思い出しても、少しうるっときます。ただプレーするだけじゃなくて、どれだけ勇気と希望を与えられる存在になれるか、と考えた記憶があります。
僕はドイツ・ワールドカップの最終予選を戦い、あと一歩のところで本戦出場を逃しましたが、2010年に朝鮮代表は(44年ぶりに)ワールドカップ出場権を掴みました。そのピッチに立ったのが、当時一緒にプレーした安英学さんであり、鄭大世選手であり、梁勇基さん(現・サガン鳥栖)。僕はそのピッチには立てなかった。4年間、自分も必死にワールドカップ出場を夢見て戦っていましたが、今振り返れば安英学さんと比べて夢を追い続ける、本当に掴む気持ちが足りなかったんだと思います」