若い在日朝鮮人選手の道しるべに―― 李漢宰、大先輩から受けた刺激と自らに課す使命
同じバックグラウンドを持つ4歳年上の安英学氏を尊敬「常にフォローしてくれた」
FC町田ゼルビアのMF李漢宰(リ・ハンジェ)は今年、プロ20年目のシーズンを迎えている。サンフレッチェ広島、北海道コンサドーレ札幌、FC岐阜、町田で常に全身全霊を込めて戦ってきた熱血漢は、初めて朝鮮学校からダイレクトでJリーグ入りを果たした在日朝鮮人3世選手だ。「僕は若い世代を引っ張っていく立場にいる」――。憧れの先輩の背中を追うように、若い在日朝鮮人選手の“道しるべ”として第一線に立ち続ける覚悟に迫る。
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2001年に広島でJリーガーとしてのキャリアをスタートさせ、3年目の03年から主力の1人となった李漢宰の存在が大きく広まったのが、北朝鮮代表の一員として出場した2005年2月9日に行われたワールドカップ(W杯)アジア最終予選の日本戦(さいたまスタジアム)だった。北朝鮮が国際試合にあまり姿を見せず、その実力が未知数であることから、在日朝鮮人3世のMF安英学氏(アン・ヨンハ/当時・名古屋グランパスエイト)と李漢宰にメディアが殺到した。自身が生まれた日本で、母国を背負ってジーコジャパンと対峙した一戦を、李漢宰は「一生忘れられない試合」と振り返る。
「試合に至るまでの1~2カ月間、謎に包まれた北朝鮮がどういうものか、在日選手の僕と安英学さんに聞こうと、ずっとテレビや雑誌の人たちに追われていました。逆に言えば、僕は注目されることで、同じ境遇で生きてきた在日の方たちに勇気や希望、少しでも力を与えたいと思っていました。当時、僕も(22歳と)若かったので(苦笑)、ストレートな思いで『日本代表を倒す』『中村俊輔さんを削る』と挑発的な発言もしましたね」
そんなギラギラと闘争心に溢れた若き日の李漢宰を陰で支え、憧れの存在であり続けたのが、4歳年上の安英学氏だ。同じバックグラウンドを持ち、岡山県倉敷市出身という共通点もある先輩を、「ひと言で言うなら、超えられない存在です」と李漢宰は尊敬の念を込める。
「1人の選手としてもちろん偉大ですけど、自分の思いをあれだけストレートに表現しつつ、みんなに共有することができる。たくさんの方から称賛されて、1人の人間としても本当に素晴らしいと思います。正直、思い出を話し出したらキリがないですね(笑)。ただ、僕が挑発的な言葉を発した時に常にフォローしてくれたのは安英学さんでした。“名コンビ”と言われつつも、やはりまだまだ自分は若かったなと思います」