“尖った”なでしこFWを変えた中国での経験 「絶対に無理」を覆した助っ人としての責任感
重宝される国へ行き、プロとして戦うことは素晴らしい
その後、亘が岡山湯郷Belleの監督に就任すると、木龍も後を追う。
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「働きながら選手もやり、後輩たちから相談されることもあり、いろんな声かけができるようになりました。国体では岡山の主将として頭を下げながら賞状を受け取っていましたが、その仕草を見たベレーザ時代から知るカメラマンの方が驚いていました。今でもウチの選手たちは『木龍さんから、こんなことを学んだ』とか『こんなことを言ってもらった』と話していますよ」
こうしてサッカーのおかげで、世界が広がり人は変わっていく。亘がボカ・ジュニオルス時代にカルロス・テベスと交わした会話が微笑ましい。
「日本って、どのくらい遠いんだ?」
「あの86番のバスで5日間くらい乗れば着くよ」
「そんなに遠いのか! 大変なところから来たんだな」
後に亘がマンチェスター・ユナイテッドを訪れると、そのテベスが英語の通訳を買って出てクリスティアーノ・ロナウドに会わせてくれた。
一方亘は、アルゼンチン時代にできた多くの友人たちの伝手で、欧州の名門クラブのトレーニングを次々に視察する機会を得た。
「例えばパリ・サンジェルマン時代のカルロ・アンチェロッティ監督は、多国籍の選手たちに端的な単語を駆使して伝えていた。岡山湯郷Belleは、現在3人の台湾人選手が在籍し、以前はブラジル人選手もいましたが、それが非常に参考になりました」
木龍は今年から韓国の昌寧WFCに所属し、十分に生活できる収入を得ながらチームに貢献している。
「昨年は1勝しかできなかったチームが、今年は8チーム中で4~5位につけているそうです。やめないで続けたからこそ、いろんな体験ができて人として幅も広がった。新しいモデルケースになってくれればいいですね」
もちろん、誰もが欧州トップリーグでの活躍を夢見る。しかし重宝される国へ行き、プロとしてやっていくのも負けずに素晴らしいと、亘は感じている。(文中敬称略)
(加部 究 / Kiwamu Kabe)
加部 究
かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。