“尖った”なでしこFWを変えた中国での経験 「絶対に無理」を覆した助っ人としての責任感
【亘崇詞の“アルゼンチン流”サッカー論|第5回】引退していた木龍七瀬、中国で現役復帰し手にしたもの
現役時代にアルゼンチン、ペルー、それに日本と3カ国でプレーをした亘崇詞は、2011年に東京ヴェルディ・ジュニアユース(中学年代)の監督を務めた。翌年指導をすることになる日テレ・ベレーザ(当時)とは練習試合を重ね、強気のプレーが際立つレフティーを「面白い選手だな」と目に留めていた。なでしこジャパン(日本女子代表)への選出経験もあるFW木龍七瀬だった。
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「スピードとキックの鋭さ、それに尖った性格、つまり強い気持ちが彼女の武器でした。試合中でも平気で男の子と喧嘩をするし、反面男子選手で引っかかってしまうような切り返しも持っていました」
亘は2012年に日テレ・ベレーザでの指導を終えるとクラブを離れたので、2人の再会は2015年末のことだった。等々力競技場で全日本女子選手権決勝が行われ、現役最後の試合に臨んだ澤穂希が自らの決勝ゴールでINAC神戸レオネッサを優勝に導く。当時、広東女子足球隊を率いて日本に遠征中の亘は、スタンドで観戦していた木龍と顔を合わせ、こんな会話をした。
「木龍、今、何やってるんだよ?」
「海外にでも住もうかな、と思って。どうせ私なんて日本では住み難いし……」
自分を曲げず、良くも悪くも思ったことはすぐに口に出すタイプなので、どうしても日本では軋轢があった。一度はアメリカでプレーしたが、膝の故障の影響などで往年の輝きを見せられず現役引退を表明していた。
「でも、やめちゃったらもったいないだろう」
亘はそんな言葉をかけて別れた。するとしばらくして、木龍が電話をかけてきた。
「私、中国へ行けないかなあ……」
亘はまず反対した。
「生活も大変だし、絶対に無理だからやめておけ!」
ところが亘の予想に反し、テストとして1週間中国へやってきた木龍は、自分を変えようと努力した。
「チームメートと不味い寮の食事を取り、一緒に汚い屋台へも出かけるようになりました。プレーも最初はリズムも合わずに苛ついていたと思いますが、そんな状況でもチームを勝たせるのが助っ人です。以前は守備なんか興味ないというタイプだったんですが、ここは守らなきゃという危険を察知するようになり、ポジショニングも覚えました」
加部 究
かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。