町田の“新拠点”整備は「スタートライン」 最年長MF李漢宰、苦難を経て挑むJ1昇格への思い
2014年の加入当初は人工芝のピッチでの練習「それを言い訳にしたくなかった」
J2のFC町田ゼルビアは、念願となるクラブハウスと天然芝グラウンド一体型のトレーニング施設が2021年7月に完成予定だ。紆余曲折を経てたどり着いた“新拠点”は選手、スタッフ、サポーター、クラブに関わるすべての人にとって特別なもの。DF深津康太に次ぐ所属歴7年を誇り、最年長としてチームの“ハート&ソウル”を担うMF李漢宰に思いを訊いた。
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李漢宰がトライアウトを経て加入した2014年当時、FC町田ゼルビアはJFLからJ3昇格を果たした初年度。2012年のJリーグ参入以降、主な練習環境は人工芝のピッチだった。練習できる環境への感謝を片時も忘れずに戦ってきた一方で、膝に古傷を抱える身として、天然芝との違いやアジャストの難しさを感じることはあったという。
「当初はそれを言い訳にしたくない、自分たちはこの環境でもやれるんだと周りの人たちに示したい気持ちが強かったです。ただ、僕もFC町田ゼルビアに所属して6年間、人工芝でプレーしてきました。正直、もともと痛みのあった膝の影響は計り知れないものはあって、今でも膝や腰にはダメージが残っています」
もともと、町田市は「少年サッカーの盛んな街」として知られる。1970年代から強化を始め、これまで約40名のJリーガーを輩出し、ジュニア・ジュニアユース年代では全国でも有数の成績を収めてきた。「サッカーの街・町田を代表するサッカークラブを作る」という考えの下で1989年に誕生したFC町田ゼルビアは、一歩ずつ成長の道を歩んできたが、これまでサンフレッチェ広島、北海道コンサドーレ札幌、FC岐阜でプレーしてきた李漢宰は、加入当初と現在の変化をこのように証言する。
「道端を歩いている子供たちがJリーグのチームユニフォームを着ているのは、地方ではなかなか見られない傾向でした。ただ、残念なことに来た当初は、町田にいてもFC町田ゼルビアではなく、近隣の川崎フロンターレさんや(横浜F・)マリノスさんのユニフォームを着ている方が多かった。そのなかで、近年はFC町田ゼルビアのユニフォームを着ている学生も多くて、変わってきたと感じます」