元FC東京ルーカス、日本での“9年半”に抱く感謝の思い 「僕はもっと良い人間になれた」
【あのブラジル人元Jリーガーは今?】ルーカス(元FC東京、G大阪):前編――引退を経てFC東京へ熱意の復帰
ブラジル人FWルーカスは、FC東京でのナビスコカップ(現ルヴァンカップ)や天皇杯、ガンバ大阪では2度の天皇杯とAFCチャンピオンズリーグ(ACL)など、数々のタイトルの原動力となったストライカーだ。ブラジルでは、現役時代の活躍はもちろん、2度の引退を経験した経歴でも有名である。
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ブラジルでも3クラブでプレーし、特にアトレチコ・パラナエンセでは2度のパラナ州選手権優勝に貢献した。2004年に日本へ渡り、7年間を過ごしたのちに11年に古巣アトレチコ・パラナエンセへ復帰したが、「数試合続けて納得いくプレーができなかった。それで、自分に正直になろうと思って引退を決めたんだ」と振り返る。
32歳の功労者の決断は尊重され、クラブでは引退セレモニーが行われた。ホームスタジアムのピッチにルーカスが家族とともに登場すると、クラブ首脳陣から感謝の盾と記念のユニフォームの贈呈。背番号は彼がこのクラブで決めたゴール数の「61」だ。そして、スタンドに響く“ルーカス・コール”の中で、ウィニングラン――。感動的なものだった。
FC東京復帰の話が届いたのは、その引退から2カ月後のことだった。
「難しい決断だった。クラブ(FC東京)はJ2で厳しい状態にあって、1年でJ1に戻るために、ピッチの内外で本当に力になれる選手を必要としていたんだ。その依頼を名誉に感じたとはいえ、僕もどれだけ手伝えるか分からなかったからね。プレッシャーから解放されて、精神的にも引退していたし、ビジネスまで始めていた。だけど、クラブの人たちと話せば話すほど、彼らのJ1復帰を信じて戦うんだという気持ちが僕の意欲を掻き立てた。だから、シーズン残り5カ月間、それだけやってみようと。
それにあの年(2011年)、東日本大震災があってとても心配していたんだ。だから、僕のサッカーによって日本の人たちに少しでも喜びを与える手助けができたらって、それも大きかった。決断した後はすべてが上手くいったよ。その年をJ1復帰で終えた後、僕のモチベーションも高まって、さらに2年間プレーできた。あの機会を感謝するばかりだ」
藤原清美
ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。