「それを背負うだけの重みと責任がある」 J復帰の柿谷曜一朗がつけるセレッソ大阪「8」番の系譜
再び動き出した「8」の歴史
それぞれのサッカー人生において、『8』が与えた影響はかくも大きい。14年7月。香川、清武に続き柿谷も海を渡った。
現在(※15年10月時点)、香川はドルトムントで輝きを取り戻し、清武もハノーファーをけん引している。柿谷こそ、2年目のバーゼルでも試練が続いているが、いずれまたセンセーショナルな活躍でわれわれを驚かせてくれるはずだ。
3人はオフになると、今でもC大阪のクラブハウスを訪れる。昨夏も香川、柿谷が姿を見せ、清武も、「けががなければ顔を出していた」(強化部の小菊昭雄氏)。紡がれてきた桜の8番の歴史だが、現在は空位(※15年10月当時)。『選ばれし者にしかつけることが許されぬ特別な数字』と少々ハードルが上がっている感もあるが、8番をつける選手には、チームの顔としてサポーターの期待も大きい。やはり相応の実績や覚悟が必要なことも確かだ。数々のドラマを生んできた桜の背番号8の歴史が動き出す時を楽しみに待ちたい。
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2016シーズン、バーゼルより復帰した柿谷は、再び「8」番を身にまとっている。
1年でのJ1復帰を果たせなかったC大阪と、思うような出場機会を得られなかった柿谷。不本意な時を過ごした両者は、再びの邂逅を果たした。
その責任と誇りを背負い、苦しい時にチームを救うのが、桜の「8」番の役割だ。”ジーニアス”がJの舞台で躍動した姿を見せた時、「8」番の歴史が再び動き出すだろう。
〈サッカーマガジンZONE 2015年12月号より一部加筆修正をして転載〉
【了】
河野正●文 text by Tadashi Kawano
ゲッティイメージズ●写真 photo by Getty Images