「それを背負うだけの重みと責任がある」 J復帰の柿谷曜一朗がつけるセレッソ大阪「8」番の系譜
柿谷が憧れの人からもらった言葉
12年、清武移籍後のC大阪を引っ張った柿谷は、13年を迎える前のオフ、ある欧州クラブへの移籍の気持ちを固めていた。香川や清武と同じ舞台に自分も――。そんな折、西澤明訓が設けた話し合いの場で、”ミスター・セレッソ”は柿谷に、「今季は曜一朗に8番をつけてほしい」と伝えた。
この瞬間、柿谷の中で「全てが吹き飛んだ」。さらに、「森島さんからその言葉を聞くためにサッカーをやってきたようなもの」とまで言った。敬愛する森島の引退を人づてに聞き、8番も香川に渡ると知って悔し涙を流した08年秋から4年。念願の瞬間を迎えた。
新体制発表で背番号8のユニフォームをまとった柿谷は、「カッコイイでしょ」と満面の笑みを浮かべた。アルビレックス新潟との開幕戦では、運命に導かれるように、88分に決勝点を決めた。この決勝点にも、8番をつけた者をめぐるドラマがある。試合後、「あそこで決めるのはさすが」というメールが香川から柿谷の元へ届くも、同日、香川はマンチェスター・ユナイテッドでハットトリックを達成。「僕のインパクトがかすむ…」。柿谷は苦笑した。海を隔てても刺激し合う関係性が透けて見えた瞬間だった。
13年、柿谷はJ1で21得点を奪い、初のA代表にも選出された。サッカー界に”柿谷フィーバー”を巻き起こした同年の暮れ。「苦しい時、どんな時でも背中の8番が自分を後押してくれた」と1年を振り返った。