バイエルン“三冠”監督とは何者か 初の独1部采配で名門を蘇生、卓越した人心掌握術
コーチライセンス講習会の時から見られた、我慢強さと人間的な素晴らしさ
「ハンシィ・フリックは1990-91シーズン、私の下でプレーしていた選手だった。2003年にプロコーチライセンス講習会で、講師と参加指導者という関係で再会することになったわけだが、選手時代から監督のように考えていた。当時から評価をしていたよ。
講習会の間は積極的だった。いつでも状況を明確に分析し、オープンでフェアな考えができる。彼とのディスカッションは楽しいんだ。選手時代も持久力がある選手だったけど、講習会の間も我慢強く長時間取り組むことができる姿が印象的だった。とても集中していた。サッカーだけではなくて、様々なことに興味を持っていたのも人間的な素晴らしさの一つなのかな」
我慢強く――と聞いて思うのは、バイエルンにとって今季ターニングポイントとなった2試合だ。ブンデスリーガ第13節でレバークーゼン(1-2)、第14節でボルシアMG(1-2)に2連敗を喫した後でも、フリックが自分たちのやり方に疑念を抱かず、微調整を加えながら、さらに自分たちの道を進もうとした。あそこで負けが続いたことで戦い方を変えたり、クラブがやはり経験豊富な監督が必要だと新しい人材の招聘に動いていたら、今のバイエルンはなかったのではないだろうか。
そして選手に対する人心掌握が巧みなのは、人間的な素晴らしさがバックボーンにあるからだろう。決断すべきところ、ダイレクトに伝えるべきところは絶対に曲げない。監督就任直後に「マヌエル・ノイアーとロベルト・レバンドフスキだけではなく、ほかの選手の爆発にも期待している。ワールドクラスの選手がノイアーとレバンドフスキだけでは少なすぎる」と、「南ドイツ新聞」に語ったことがある。
一方で、すべてと距離を取ってマネージメントをするわけではない。誰に対しても、人として相手に興味を持って耳を傾ける。だから選手も心を開く。そんな監督の下だからこそ、本物のチームとなる。決勝トーナメントでは、バイエルンベンチで出場機会が少ない選手も本気だった。リュカ・エルナンデスが、あるいはベンジャマン・パバールが大声で叫び続け、チームを応援し続けていた。特に準決勝、決勝はフランスチームとの対戦だ。フランス人選手がフランスのチームとの試合に出たくないわけがない。出てチームを助けたい。でも同じくらいピッチで戦う選手を、大事な仲間を鼓舞したい気持ちのほうが強かったのだ。
個々のパフォーマンスレベルも、チームとしての戦術も、戦略もバイエルンは素晴らしかった。それは、それぞれが自分の力を最大限に発揮するための下地を、フリックが作り上げていたからなのだ。稀代の名将ユップ・ハインケスと比較されることが増えてきているフリックだが、三冠を達成した今、どこまで高みに到達するのか。注目は高まるばかりだ。
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(中野吉之伴 / Kichinosuke Nakano)
中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。