あまりに長すぎた春 女子サッカー界を世界一に導いたなでしこ佐々木監督の功罪とは

若手は常にサイドバックでテスト 新戦力育成に疑問符

 日本女子サッカーが一時代の終焉を迎えた。リオデジャネイロ五輪アジア最終予選で日本は3位以下が確定視、1試合を残して上位2カ国に与えられる本大会出場権を逃した。4大会連続の五輪の舞台を逃したなでしこジャパンで、日本サッカー協会の大仁邦彌会長は佐々木則夫監督が今予選限りで退任の方針を明らかにしている。

 佐々木監督に率いられたなでしこは、間違いなく一つの輝かしい黄金時代を過ごした。2008年に北京五輪で初めてベスト4に進出すると、11年の女子ワールドカップで初優勝し、12年のロンドン五輪で銀メダルを獲得した。男子は世代別の大会だが、女子にとっては五輪こそが世界最大の大会という位置付けになる。その意味では、このロンドン五輪までが佐々木なでしこの第一期だった。

 第二期に入った13年あたりから、チームには“世代交代”の文字がちらつき始めた。12年に「ヤングなでしこ」と呼ばれたU-20女子ワールドカップの代表チームが3位に入ったことも大きい。まして地元開催で注目度も高く、MF猶本光やMF田中陽子などが大きな人気を博した。そうした背景もあり、新戦力の台頭と融合を期待する声が大きくなっていった。

 佐々木監督も新戦力の発掘に手をつけなかったわけではない。しかし、ボランチやセンターバックといったチームの心臓部にあたるポジションに大胆に抜擢するというわけにはいかなかった。多くの場合、新しく呼ばれた選手はサイドバックで試された。これには、なでしこリーグや日本女子サッカー全体の選手層という問題も裏側にあるが、普段全くプレーしていないポジションで代表入り直後に不慣れなポジションにコンバートされる状況は新戦力にも理想的ではなかった。結果的に、試されては元の選手に戻す繰り返しになった。

 

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