浦和レッズ「9」番の系譜 エースナンバーを背負った男たちの誇りと覚悟とは
福田が引退会見で口にした「9」番への思い
89年に日本リーグ2部の三菱重工に加入した背番号14の福田は、リーグ新記録となる出場26試合で36得点という驚異的な数字を残し、1部に復帰した翌年から背番号10をつける。9番は長らく三菱重工と日本代表のエースFWだった原博実が背負っていた。
Jリーグ最初の公式大会、92年のジェフ市原(現千葉)とのナビスコ杯予選リーグ第1戦、アンフィニ札幌と対戦した同年の天皇杯1回戦、93年のガンバ大阪とのJリーグ開幕戦……。福田は9番をつけて節目の試合に臨んだ。
エースFWは9番、というのがほぼ万国共通の認識。92年は主将で元日本代表の柱谷幸一、93年はアルゼンチン代表で9番をつけたフェレイラ、94年はチェコスロバキア代表のルルといったストライカーが在籍したが、先発した時の福田は必ず9番だった。
背番号が固定化された97年は、ナビスコ杯予選リーグが先行開催され、サガン鳥栖との開幕戦に先発した福田のユニホームには9番が縫い込まれていた。
「顔が名刺代わり」と言う。福田の場合は背中の「No.9」が顔であり、名刺でもあった。公式上は引退する2002年までの6年間、事実上は92年から11シーズンにわたって9番を担った。
福田は引退会見の席上、9番についてこう述懐している。
「小さいころに憧れていた選手が9番をつけていたので、思い出とこだわりが詰まっている。ストライカーは9番だし、浦和の9番には大きな責任がある。自分の次は若い選手につけてもらって大きな自信にしてもらいたい」