食野亮太郎、“人生を変えた”恩師との出会い FW転向でマンC移籍実現「消えていたかも」
【食野亮太郎インタビュー|第4回】19年に訪れたサッカー人生の転機、森下監督との出会い
J3から強豪マンチェスター・シティへ――。昨年、J3での始動からわずか7カ月でプレミアリーグ移籍を実現させたU-23日本代表FW食野亮太郎が、海外初挑戦のシーズンを終えて「Football ZONE web」の単独インタビューに応じた。昨夏にガンバ大阪からシティへ完全移籍。労働許可証の問題から直後にスコットランドのハーツへレンタル移籍で武者修行に出た。海外挑戦1年目の成績は19試合3得点。U-23日本代表入りも果たすなど、自らを取り巻く環境が激変した1年を食野が振り返った。第4回は、サッカー人生を変えた「運命の出会い」について語る。
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2019年は、食野にとって決して忘れられない1年になっただろう。G大阪のジュニアユースからユースを経て17年にトップチームに昇格し、なかなかJ1での出場機会に恵まれないまま、19年には勝負のプロ3年目を迎えた。しかし、始動日の1月9日、食野の立ち位置はJ3に所属するU-23チーム。キャンプでもトップチームに同行できず、J1開幕戦の横浜F・マリノス戦ではベンチに入れなかった。それでも半年後の8月9日、プレミアリーグの強豪マンチェスター・シティへ完全移籍。たった212日間で、食野は人生を変えた。
そもそも、なぜこのような飛躍の1年となったのか。そこには、1人の恩師との出会いがあった。
G大阪U-23の指揮を執る森下仁志監督。現役時代はG大阪やコンサドーレ札幌、ジュビロ磐田で活躍し、指導者としては磐田やサガン鳥栖などを率いた。そして19年、古巣のG大阪でセカンドチームにあたるU-23の指揮官に就任。食野にとっては、“人生を変える”出会いだった。
「僕はプレー中、たまにちょっとふてくされたりしてしまうことがあったんです。でも、仁志さんに出会って周りからの意見を受け入れる大切さ、謙虚さを教わった。今までのギラギラした部分も失わずに周りのアドバイスは吸収して、消化して“いるもの”はいる、“いらんもの”はいらんとやっていけば、選手としても人としても大きくなれると思っています」
もともと2列目、サイドから仕掛けて攻撃に絡んでいくタイプ。U-23日本代表でもシャドーとして活躍を期待されている。そのなかで、森下監督からはFWに“コンバート”された。