「サッカー人生の全てを変えるきっかけになった」 天才・宇佐美貴史を覚醒させた言葉とは
心が折れ、悔し泣きをしたあの日
ドイツで1年目を終えた時、宇佐美に足りなかったのは実戦経験だった。バイエルンではピッチ内外でいろいろなことを学んだが、それをピッチで表現する機会が必要だったのだ。バイエルンを出た宇佐美が最終的に選択したのは、育成で有名な中堅クラブのホッフェンハイムだった。
「試合に出て、しっかり結果を残すことしか考えてなかった」
シーズン序盤は高い技術とスピードが評価され、レギュラーとしてプレーした。だが、なかなか勝ち星に恵まれず、チームが下降線をたどると出番も減っていった。3月のマインツ戦以降はピッチに立てず、4月からはベンチ入りもままならなかった。しかも、シーズン中に4人もの監督が交代するなど終始、混沌とした状況が続いたのである。
「最初はともかく、途中出場が増えた時は結果を出してスタメンに定着できるまで我慢しようと思った。でも、徐々に試合に出られなくなって点も入らへん。シーズン半ば過ぎからは自分が点を取ってチームを勝たせるとか、そういう余裕もなくなった。自分が1点を取れば、チームが負けてもいいんちゃうかなって思うぐらい追い詰められた。点を取らないと試合に出られないし、自分の居場所を失うんで。バイエルンの時に生き残る厳しさを学んだけど、ここであらためて結果が全てというのを痛烈に感じました」
シーズン後半、チームはダッチロール状態となり、残留争いに陥った。宇佐美も守備要員として屈辱的な起用をされた。
「俺、何してんのやろ」
練習の帰り道、ハンドルを握り締めたまま、車の中で思わず悔し泣きをしたこともあったという。
「試合に出て、結果を出すために試行錯誤するのがサッカー選手。でも、その時の俺はサッカー選手でもなんでもなかった。正直、もう日本に帰ってもいいんかなって思ってた。ほんまにつらかったし、練習に行くのも面倒やなって思ったから。たぶん、嫁さんがおらんかったら日本に帰っていたと思う。でも、ガンバがレンタルで出してくれているわけやし、家族も連れて来ているんで、うまくいかへんから帰ろうとか無責任なことは言えへんなぁって。でも、すぐにこのままでええんかなぁと考えてしまう。シーズンが終わるまでその葛藤が続いた」