三浦泰年が東京Vで直面した難壁とは? “名門の苦悩”を告白「ヴェルディを忘れてほしかった」
北九州の成功と東京Vの難壁 4年間で三浦氏が経験した“天国と地獄”
「18歳で代表になれる可能性を持った選手から、高原(直泰)のように実績を持った選手まで、一言で全員に伝える作業というのは苦労した。例えば敗戦後に『負けたけど胸を張って帰っていい』と言ったら、ある選手は『ここで下を向かず、次の試合を見よう』と捉えるけれど、一方で『なんで負けているのに胸を張って帰れるんだ』と感じる選手がいた。そういう壁には、ヴェルディ時代は何度もぶつかったなと思う。 僕のやり方としては、1人に言いたいことを30人に伝える。でも実は、それは1人に言っているだけ、ということが結構多い。そのやり方をするうえで、ヴェルディの時は辛いものがあった。能力が高い選手というのは2パターンあって、技術的な側面と、サッカーIQの側面があるわけだけど、後者が高いと自分で思っている選手が多かったのが、マネジメントで苦労したところかな。
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ヴェルディは、過去の大きな勲章や歴史があって、僕自身、現役時代の古巣でもあったので、大きな改革という意識が強かった。チームで良いサッカーをして勝たせる、ということにもっと集中できたら良かったなと。集中するために、選手をどのようにマネジメントすればいいのか、自然に走ってくれるように、自然にサッカーをしてくれるような環境にしたかった。そのために、ヴェルディという名を忘れてほしかった。それにはもっと時間が必要だった。ただ、監督には時間に限りがあるので、その時間内では間に合わないマネジメント方法だったという結果に終わった」
北九州で成功を収め、東京Vで解任の憂き目に遭った三浦氏は、4年間で文字通り“天国と地獄”を味わった。2018年に鹿児島の監督を退任して以降、Jリーグの舞台で指揮を執っていないが、「監督メンタリティーがなくなる日は来ないだろうな、と今は思っている。いつか監督をやれない瞬間が来るのだろうけど、それは選手の時と同じで、突然訪れるものなんだろうから」と、監督としての闘志を胸に秘めている。“その瞬間”に向け、しっかりと準備を整えている。