三浦泰年が東京Vで直面した難壁とは? “名門の苦悩”を告白「ヴェルディを忘れてほしかった」
【ZONE語らい居酒屋|第2回】三浦泰年(中編)――東京Vで直面した“勲章と歴史の壁”
サッカー界に身を置く有識者は、昨今のサッカー界に対してどのような思いを抱いているのだろうか――。データスタジアム株式会社の代表取締役社長・会長を歴任し、現在はFootball ZONE webの企画に携わる森本美行氏が、自身のサッカーにおける人脈を通して、同メディアの公式YouTubeチャンネルで「ZONE語らい居酒屋」をスタート。サッカー人から本音を聞き出す番組を開始した。
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第2回のゲストには、現役時代に読売クラブ(現・東京ヴェルディ)や清水エスパルスなどで活躍。引退後はギラヴァンツ北九州、東京V、鹿児島ユナイテッドFCなどで指揮官を務めた三浦泰年氏を招いた。番組の後半戦では監督生活に脚光を当て、北九州で収めた成功や、東京Vで味わった苦悩について振り返っている。
2003年にヴィッセル神戸で現役を引退した三浦氏は、11年に北九州で初めてJクラブの監督に就任した。J2昇格を果たした前シーズンにわずか勝ち点「15」の最下位に沈んだチームを、三浦氏は就任1年目で約4倍となる勝ち点「58」まで伸ばし、8位でシーズンを終えた。翌年も勝ち点「64」まで積み上げて9位で終えるなど、チームをJ1プレーオフ出場圏の手前まで押し上げた。
北九州での指揮については、「(Jクラブ監督としての)ファーストキャリアだったというのが非常に大きいのと、チームを変えることがクラブが変わっていく起爆剤になることは誰もが分かっていたことなので、クラブのことを考えながらも、チームを変えるために勝利をたくさん積み上げればいいという、仕事がシンプルなものだった」と、自身にとって初の監督キャリアで、クラブもゼロからのチーム作りを求めていたからこそ、テコ入れがしやすい環境だったと振り返った。
一方、13年には選手として長年プレーした“古巣”東京Vの監督に就任。しかし、1年目で13位に沈むと、翌年にはシーズン途中で解任される憂き目に遭った。「ヴェルディの時は難しかったね」と苦笑いを浮かべた三浦氏は、当時の心情を次のように明かしている。