“失明危機”から這い上がった31歳DF、1%の可能性に見えた光 「やらないという選択肢はない」

新天地ハミルトン・ワンダラーズ同僚と笑顔を浮かべる【写真提供:11aside】
新天地ハミルトン・ワンダラーズ同僚と笑顔を浮かべる【写真提供:11aside】

もう一度ボールを蹴るため――「僕にはやらないっていう選択肢はない」「やるだけ」

「『見えないのにできるの?』と言われましたけど、できる、できないじゃないんですよ。やるか、やらないか。僕にはやらないっていう選択肢はないので、もうやるだけなんです」

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 悲劇の半年前、松本はキャリアの“転機”とも言えるクラブW杯出場を果たした。同大会に日本人で唯一の出場。ニューカレドニア史上初出場の快挙を成し遂げたヤンゲン・スポールの一員として、シャビ・エルナンデス監督が率いるアル・サッドと延長戦の死闘を演じたものの、結果は惜しくも1-3で敗れた。オセアニア・チャンピオンズリーグを初優勝し、出場資格を得たヤンゲン・スポール。松本はクラブW杯に出場するため、この無名チームに昨年11月に加入した。

 もともと、オセアニアを中心に様々な国を渡り歩いてきた。セレッソ大阪ジュニアユースからガンバ大阪ユースに移籍し、高校卒業と同時にイングランドへ渡り、2012-13シーズンからブリスベン・ロアー(オーストラリア)、14年にオークランド・シティ(ニュージーランド)、15年には当時元スペイン代表FWダビド・ビジャが所属していたニューヨーク・シティFC(アメリカ)に練習生として参加。ビジャの運転する車でグランドに行くこともあった。その後もニュージーランドやフィジー、バヌアツなど様々な国で経験を積んだ。

 松本の目標は、もう一度クラブW杯の舞台に立つこと。まずは、日本で治療を続けながら、2カ月後から走り始める。4カ月後にはコンタクトプレーも許された。世界のピッチに立つことは、どんな状況になっても絶対に諦めない。

「今、僕は視力でいうと視覚障害者に該当するくらいしか見えていない。それでも回復を信じて、クラブW杯出場する為に競技復帰を全力で目指す。その後は、例えばパラリンピック出場を目指すなど、挑戦は続けていきたい」

 もともと俊足の持ち主。可能性として、陸上へのチャレンジも選択肢にある。現在の松本はパラリンピックで「T12」という中等度の視覚障害と分類される。日本パラ陸上競技連盟によると、「現在は新型コロナウイルスの影響で開催が不透明ですが、国際的なクラス分けに参加して、『T12』あるいは『T13(軽度の視覚障害)』と認定されれば、(サッカー選手でも)パラ出場を目指すことは可能」だという。また、陸上のトレーニングはもちろんサッカーに生かすこともできる。

 まず見据えるのはクラブW杯。その目標を曲げずにどこまでも前向きに走り続ける。奇跡を信じ、自分を信じ、周囲を信じてきた。だからこそ、見えた希望の光――。サイドを駆け上がる松本の姿を、ピッチで見られる日はきっと近いだろう。

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(FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)



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