“失明危機”の31歳DF、C大阪→G大阪の“異色経歴” 禁断の移籍で掴んだものとは?
”禁断の移籍”を経験したからこそ突き詰めたプレースタイル 「最初はついていけなくて…」
「ガンバはめちゃくちゃ上手くて全然違った。セレッソでは高校サッカー以上に走らされていて、フィジカルやメンタル面はとても鍛えてもらった。ガンバはポゼッションとか技術面が上手くて。僕は全然上手くないんですけど、最初はついていけなくてパニック。でも走りの練習になったらセレッソの時に鍛えられたので、走ることだけはガンバでも一番だった。それ以外は全然だめでした。両方学べたのは良かった」
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C大阪時代に走力を鍛えられ、無尽蔵のスタミナでサイドを駆け上がる。豊富な運動量がG大阪時代の持ち味となった。このプレースタイルはオセアニアを中心に戦い続けるサイドバックとして今も変わらない。柿谷とともにプレーした松本だが、高校3年生の時には3学年下のFW宇佐美貴史(G大阪)が飛び級でユースに昇格。アカデミー時代に柿谷とも、宇佐美ともプレーをした。
「この2人や1学年先輩の秋くん(G大阪MF倉田秋)など、現在もプロで活躍している選手たちと、アカデミー時代にプレーできたのは、とても刺激になりましたね」
だが、トップチーム昇格は叶わず、高校卒業後に海外行きを決意。「大学に行くことも考えたけど、とにかくプロになりたかった」。イングランドなどでプレーし、一度帰国して、徳島ヴォルティスやジェフユナイテッド千葉などに所属するも、2012年からは再び海外を渡り歩いた。オセアニアを中心に様々な国でサッカーを続けた。昨年はクラブW杯出場も果たしたが、現在は右目の“失明危機”から復帰に向けて戦っている。
幼い頃から常に高みを目指し、“決断”を続けてきた松本。その純粋な心を、きっとサッカーの神様は見守ってくれているはずだ。
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松本光平を応援する会
(FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)