元V川崎ペレイラが語る日本での「心に刻まれている瞬間」 異国で知った一から作る喜び
当時は井原正巳の大ファン V川崎MF廣長優志の“学ぶ姿勢”にも感銘
1996年に移籍した札幌は同年に改称し、Jリーグ準会員となったばかりだった。
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「初めてのプロチームに対する、札幌や北海道の人々の大きな喜びが感じられた。そのなかで、チームの1部昇格を手伝うことは、すごく幸せなことだった。ヴェルディの時はクラブの基盤が整っていたし、経験豊富な選手たちが揃い、チームはすでにでき上がっていた。そういうクラブが優勝を目指すのを、手助けしに行った形だった。一方、札幌は他のビッグクラブでの経験や、情報を求めている時期だったし、若い選手も多かった。だから、チームとクラブを作るために、また選手を育てるために、力になれた気がする。そういう二つの違った状況でやれたことは、僕にとっても、素晴らしい経験だった」
ペレイラに関して当時よく言われていたのは、サッカーを見始めたばかりの日本のサポーターに、攻撃のスター選手たちが輝く試合において、それを支える守備の大切さや、その魅力を教えたということだった。
「だからこそ、Jリーグ最優秀選手賞に選んでもらえたことは、サッカーを志す少年たちにとって、ディフェンダーの重要性を学ぶきっかけになったし、若いセンターバックにも刺激になったと思っている。僕の信念なんだけど、良い守備をするのにラフプレーやファウルは必要ない。素早く予測して、相手がボールを受ける前に、そのボールを奪えばいいんだ。今思えば、日頃からそういうふうに、プレーを理論立てて説明しながら若手をサポートしていたことで、引退後、すんなりと指導者への道を選べたのかもしれない」
そして、ペレイラは当時の日本人ディフェンダーを称えることも忘れなかった。
「僕は井原(正巳)の大ファンだったんだ。特に、彼が日本代表でプレーしている時、すごく注目していた。それから、ヴェルディの廣長(優志)。センターバックやボランチとしてプレーしていた彼はいつでも僕と話し、一緒にポジショニングの練習をしようとしていた。彼の姿勢を尊敬したものだよ。それによって僕も、プロとして始めたばかりの若手を手助けするという、プレー以外の自分の役割を知ることができたんだ」
藤原清美
ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。