V川崎“黄金期”のブラジル人DF、6年間の日本生活に感謝 「人生で大事なことを学んだ」
【あのブラジル人元Jリーガーは今?】ペレイラ(V川崎、札幌):前編――ヴェルディ黄金期を支え、94年にMVPも獲得
1992年から4年間、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)に所属したセンターバックのペレイラは、1994年に年間最優秀選手に輝くなど、Jリーグ創世期の黄金期を支えた。その後、旧JFLでクラブとしてスタートしたばかりのコンサドーレ札幌(現・北海道コンサドーレ札幌)の発展に貢献。現役時代から抜群の統率力によりピッチ内外でリーダー的な存在だった男は、引退後は一貫してサッカーの指導に献身している。
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「(1998年に)コンサドーレとの契約が終わってブラジルに戻った後、少しだけサンパウロにあるサンベント・ソロカーバでプレーしたんだ。でも、膝の手術をしなければならなくなって現役引退を決意した」
引退後は、監督を目指して技術指導の講義を受講。韓国で3年間、水原三星ブルーウィングスの下部組織で指導したり、帰国後にサンパウロのウニオン・バルバレンセというクラブで、プロチームのアシスタントコーチも務めた。
技術と指導力があり、国際的な人脈を持つ点が評価され、常に様々なプロジェクトから声がかかるなど、育成に専念してきた。日本や韓国からのサッカー留学プロジェクトに関わっていた時期がある。また、現在の住まいであるサンパウロ州イトゥー市スポーツ局が関わる、サッカースクールでの技術責任者に招聘された時は、将来性のある選手の発掘からプロとして送り出すまでの育成を担当した。
そうした経験を経て2015年、念願だった自身のサッカーアカデミーを設立した。
「VIVÁH(ヴィヴァ)という名前の、4歳から17歳までのスクールだ。順調に発展してきたし、ここで育った選手をサンパウロFCやグアラニー、それにサンパウロ州選手権1部の地元クラブ・イトゥアーノにも送り込んできた。常時100人以上がここでトレーニングしているんだ。今、公式サイズのピッチも作りたくて場所を検討しているところだよ」
藤原清美
ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。