元浦和ワシントンが語る日本での「思い出3選」 “最高のサポーター”と喜んだあの瞬間
【あのブラジル人元Jリーガーは今?】ワシントン(元浦和、東京V):後編――日本での思い出深い瞬間とサポーターへの感謝
ブラジルメディアでFWワシントンに関する特集が組まれる時、その経歴のなかでJリーグ時代の活躍も紹介される。そしてワシントンは今なお、地元メディアに対しても、自分に日本へ行くきっかけをくれた東京ヴェルディへの感謝と、浦和レッズへの溢れんばかりの愛を、情熱的に語り続けている。
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「日本に初めて行ったのは、ブラジル代表として出場した2001年のコンフェデレーションズカップだ。その経験があったから、4年後、ヴェルディからオファーを受けた時は幸せに思ったよ。日本という国を、もっと知りたくなっていたからね」
2005年のJ1開幕戦でいきなり初ゴールを挙げるなど日本サッカーに難なく適応したワシントンは、リーグ戦33試合22得点と強烈なインパクトを残した。06年に浦和へ移籍するとJ1優勝、07年AFCチャンピオンズリーグ(ACL)優勝、FIFAクラブワールドカップ3位など、数々の栄光に貢献したが、当初のプランとは少し異なっていたという。
「最初は1年で帰ろうと思っていたんだ。そして、たとえ1年でも、できるだけ良い仕事をしたかったから、早く馴染むためには日本の人たちと同じように暮らすのがいいと思った。なんでも食べてみたし、あちこち出かけた。日本の象徴である富士山には、日本に着いてすぐに行ったよ。心をオープンにして、なんでも知ろうとした。そうするうちに、日本の文化、日本の人たちがすごく好きになって、結局3年いたんだ。もっと長くいられたら良かったと、今でも思う」
ワシントンに日本での思い出を尋ねると、3つの試合について語ってくれた。
「心に刻まれる試合は多いけど、一番印象に残るのは、浦和で2006年にJリーグ優勝を果たした最終節のガンバ大阪戦(3-2)だ。それから、2007年に優勝したACLでは、特に印象に残ることが二つある。一つは準決勝第2戦。ホームで城南一和(韓国/現・城南FC)と戦ったんだけど、その直前の試合で僕は鼻を骨折してしまったんだ。でも、フェイスガードを付けて出場できた。もちろん、普段通りにとはいかないけど、それにも勝る意欲でプレーしたんだ。試合は延長戦を経て、PK戦で勝利。激闘だったけど、決勝に進出することができた。
もう一つは、優勝が決まった時だ。決勝第2戦がホームだったから、浦和のサポーターの前で、タイトルを獲ることができたんだよね。あの瞬間、僕はサポーターのところへ駆けて行き、スタンドの真ん中で、みんなで祝ったんだ。Jリーグでも、ACLでも、タイトルを祝う時はサポーターと一緒だった。僕の一番好きな瞬間だ。笑顔と涙でみんなと抱き合ってね。だって、浦和のサポーターは日本でも、世界でも、最高のサポーターだから。彼らはチームの一部なんだ」
藤原清美
ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。