「無」になれるGK川口能活と“神セーブ” 絶体絶命の瞬間、いつも“しなやか”だった

俊敏とは何かが違う「フッと動く」不思議な速さ
川口を初めて見たのは、まだ彼が中学生の時だ。東海大第一中学校の3年生だったと思う。すでにその名は知られていた。試合中、いきなりプレーと無関係のところでイエローカードをもらっていた。たぶん判定異議。割と短気なんだなと思ったのが第一印象だった。
【PR】DAZNを半額で視聴可能な学生向け「ABEMA de DAZN 学割プラン」が新登場!
清水商業高校では1年生から活躍し、高校選手権で優勝の立役者となった。横浜マリノスに入団した頃も、ものすごくギラついていた印象しかない。ただ、短気というイメージはだんだんなくなっていって、04年アジアカップの「ぼうっと」していた川口を“らしい”と感じていた。どのあたりで印象が変わったのかは覚えていないが、周囲の喧噪に全く動じず「無」になれるGKに違和感を持たなくなっていた。
川口は、フッと動く。
あの体の動きは本当に不思議だ。力が抜けていてパワーは感じない。そんなに速い感じもない。それでもボールに触れているので結局速いのだが、俊敏というのとは何かが違うのだ。速く動こうとしていないぶん、速い――そんな感じだ。
1996年アトランタ五輪のブラジル戦(1-0)で28本のシュートを雨あられと浴びながら防ぎまくり、98年フランス・ワールドカップでも再三ピンチを救った。2006年ドイツ大会のクロアチア戦(0-0)では、名手ダリヨ・スルナのPKを止めている。
絶体絶命の瞬間、いつも川口はしなやかだった。あれはおそらく天性のものだが、心理的にも余分なものをどんどん削いでいった結果が、あのヨルダンとのPK戦に表れていたのではないだろうか。

西部謙司
にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。