元浦和FWワシントンが誓う日本への“凱旋” 「浦和に対する使命はまだ終わっていない」
引退後、代理人業をスタートさせたことがきっかけで市議会議員に転身
引退からの9年間、彼の人生は目まぐるしく変化し、様々な挑戦をしてきた。まずは下部組織時代からの古巣カシアス・ド・スウの本拠地である、ブラジル南部リオグランデ・ド・スウ州カシアス・ド・スウ市に拠点を移して建設会社を経営しながら、選手の代理人業をスタートさせた。その転居が、思いがけないターニングポイントとなった。
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「2013年に市議会議員になったんだ。選挙では最高得票だったんだよ。リオグランデ・ド・スウ州のワールドカップ組織委員会で親善大使も務めた。そして、翌年はカシアス・ド・スウ市スポーツ局長に就任した。まさかの展開だったけど、人生を通してスポーツに関わり続けていくうえで、政治家という選択肢ができたんだ。アイデアを提案したり、スポーツを運営管理したり。様々なプロジェクトの土台作りもしたし、社会事業も手がけた。スポーツを通して街が成長するために、この仕事にベストを尽くしていた」
2014年には3カ月間、連邦議会下院議員として国政にも従事した。
そんな彼が、一旦政界を退いたのは、ピッチに戻りたいという思いからだった。サッカーの指導者と運営の講座を受けたのをはじめ、当時アトレチコ・パラナエンセを率いていたパウロ・アウトゥオーリ(現ボタフォゴ監督)やブラジル代表のチッチら、4人の名指揮官の下で監督研修をした。レヴィー・クルピ(元セレッソ大阪監督ほか)から数日間かけて、監督哲学なども聞いた。
入念に準備した後、2017年に監督キャリアをスタートさせた。
「ヴィトーリア・ダ・コンキスタという、ブラジル北東部バイーア州のクラブの監督に就任したんだ。小さなクラブだけど、これから飛躍するための意欲的なプロジェクトを打ち立て、施設や設備などの基盤も整えていた。市民にも愛されて、環境が良かった。小さなクラブから始めたのは、そこから少しずつ目標を達成し、ステップアップしていくためさ。
僕の夢は、Jリーグで監督を務めることなんだ。それが僕の心のクラブ、浦和であれば、そんなに素晴らしいことはないよね。あのサポーターの元に、監督として帰りたい。なぜなら、僕の浦和に対する使命は、まだ終わっていない。浦和のためにできることが、まだたくさんあると思っている。そのためにも、ブラジルのビッグクラブで結果を出すところまで行きたい。その段階を着実に経た後で、日本に挑戦するつもりだよ」
藤原清美
ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。