なぜメキシコでプロ指導者に? 「日本よりチャンスがある」監督学校、異国で戦う2人のコーチ
「海外を知らない」自分への葛藤、独学でスペイン語を勉強しメキシコへ
そして2010年、給田氏は指導者として働けるチームを探し、なでしこ2部だった地元のバニーズ京都に移る。U-12コーチからスタートし、U-12監督、U-18監督、トップのGKコーチを歴任。ホームゲームの運営委員長も務めた。そして13年にB級の指導者ライセンスも取得。翌14年からは現J1の湘南ベルマーレのスクールコーチに就任した。
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だが、葛藤があった。
「子どもたちには『海外はこうだよ』って教えながら、自分は海外を知らなかった。将来を考えた時に、今スクールコーチで、ここからどうやって上に行ったらいいのか考えた。そしてスペインも中南米もスペイン語だし、スペイン語圏に行って海外のサッカーを見ておきたいと思うようになった」
すぐに独学でスペイン語の勉強を始めた。
「スペインにはすでに日本人の指導者がたくさんいるので、メキシコだと思ったんです」
機が熟したのは3年後の17年。塩沢氏と同じく、日墨戦略的グローバル・パートナーシップ研修計画の留学制度に合格。1年間休職し、夏にメキシコに渡る予定だった。だが、出発直前に急きょ派遣がキャンセルになった。給田氏は3日間呆然とした日々を過ごしたが、留学への思いは強く、生活費や授業料の安い中米グアテマラにまずは向かうことを決意した。
その数カ月後、運が巡ってくる。偶然、湘南のスタッフがメキシコに来て、トルーカで研修を受けることになり、給田氏も同行するチャンスを得たのだ。そして17年11月、トルーカのスタッフの紹介でモレリア行きが決定。映像分析担当として相手チームのスカウティングをしながら、U-14のアシスタントコーチを務めることになり、19年夏からは監督学校にも通い出した。
「メキシコで指導者として上に行きたいなと思ったんです。メキシコで資格を取れば、中米の他の国でも教えることができるし、南米で指導している人もいる。メキシコ1部のチームはブランド力が強いし、いたと言えば働きやすいはず。スペイン語が話せれば、どこでも生きていけるなと思った」
それまでは毎週、片道3時間かけてモレリアからケレタロの監督学校に通っていたが、通学時間短縮のため、19年10月からケレタロに移籍。U-12、U-11アシスタントコーチを経て、現在はU-16アシスタントコーチを務める。マネージャー経験を生かし、練習では常に一歩先を考え、無駄のないようにコーンやボールを配置する。もちろん、必要に応じて映像分析もする。そんなマルチな仕事ぶりが評価され、チームにもすっかり溶け込んでいる。