なぜメキシコでプロ指導者に? 「日本よりチャンスがある」監督学校、異国で戦う2人のコーチ
メキシコには「外国人でも周りが受け入れてくれる文化がある」
そんな時、ケレタロの練習を見学に訪れたことで、次の道が開けた。メソッド部門のスタッフと知り合い、売り込む伝手を見つけたのだ。
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当時、ケレタロは下部組織の強化に力を入れている真っ最中だった。塩沢氏はメキシコシティで行われるアメリカ、プーマス、クルスアスルの下部組織の試合に足を運び、ケレタロの次戦の対戦相手となるチームの試合を観戦してスカウティングレポートを送るとともに、サントス・ラグーナでの映像分析の話もして、存在をアピールした。そして映像分析スタッフとして検討しているという話が16年5月末に届いた。
その時、持っていたビザの期限は6月まで。当時30歳だった塩沢氏は「この年で日本に帰っても雇ってもらえないと思った。それならメキシコで職歴があったほうがいい。もし契約に至らなければ、(メキシコに日本企業の工場がたくさんある)自動車関係で働いてお金を貯めて、週末にサッカー関係のことをしようかとも考えていた」という。幸いにも話は順調に進み、6月下旬に採用が決定。メソッド部門のアシスタントとしての仕事を得た。
仕事内容は各カテゴリーの試合の傾向分析。映像や統計データを用い、ミーティングで伝えた。1年半後の18年には分析部門に移った。選手獲得の際のスカウティングや、自チームの分析レポート作成などが主な仕事だった。
そして19年、ついに指導者としてのポストが与えられた。前半はU-20アシスタントコーチと女子アシスタントコーチ、後半はU-20の専属。今年からはU-20アシスタントコーチとU-14監督の二足のわらじを履くことになった。仕事熱心で、帰宅するのはスタッフの中で一番最後。「お前、練習場に住んでるのか?」とジョークを言われるほど。グラウンドでは冷静で的確な指示を出すなど、同僚たちの評価も高い。
「メキシコのことに慣れつつ、日本で学んだようにいろんなことをゼネラルにやることでここまできた。ただ、良い評価をしてもらっていても、自分は外国人で、しかも日本人。時にサッカーでは下に見られることもある。まさか責任のある立場である監督になるとは思っていなかった。楽しみつつ、なるべく多くの選手がU-14からU-15に上がれるよう、責任を持ってやっていきたい。選手が気持ち良くサッカーができるようにと思ってやっています」
新型コロナウイルス感染拡大防止のため、リーグは4月1日、U-20以下の下部組織のリーグすべてのシーズン途中での終了を発表。現在は練習も行われておらず「今は待つしかない。一刻も早く状況が改善されることを願っています」と、再びサッカーができる日を待ち望んでいる。
今後もしばらくはメキシコで指導者を続けるつもりだ。
「最初、留学生として来た時に、メキシコから得るだけでなく、何か少しでも貢献できることがあればと思っていた。仕事の機会も含め、メキシコからいろんなものを与えられて今の立場があるので、なんらかの形で貢献して、爪痕を残せたらいいなと思っています」
コーチとしてトップチームのスタッフになりたいという思いもある。
「メキシコは治安面の不安もあるし、みんながみんな信頼できるわけではないですが、割と誰でも最初の段階で温かく迎えてくれますし、本当に絆が深まると、いろんなことを気にかけてくれる。血のつながりがなくても、家族の一部、友人として扱ってくれる。指導者学校でも周りに助けてもらうことがあったし、ケレタロにも友だちや知り合いがいて入ったわけではない。人に温かさがあり、外国人でも周りが受け入れてくれる文化がある。そこはメキシコの好きなところ。クビになっても少しはあがいて、もう少しメキシコでチャレンジしたいですね」